館林・田中正造記念館への道(2017年)―1: 2021/5/1追加

館林・田中正造記念館への道(2017年)―1


【更新履歴】

2021/04/19 3:41

2021/04/21 第一回追加を掲載 14:32微修正

2021/04/23 13:12 (4枚)追加。 13:47 微修正 13:57微修正 14:13微修正

2021/04/25 16:40 📷(4枚)追加と✒文書追加。 16:46微修正

2021/04/28 10:42 掲載 写真4枚追加

2021/05/01 12:52 📷4枚と文章を追加

2021/05/05 17:33 パート2のリンク追加


次のPart-2のリンク⇒http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4904

 


【序】目的地

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1382661711161790466?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1382982907422121984?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1383365803093815297?s=20

 

【タイトル】

クリックで💻大に拡大、二度クリックで巨大(さらに巨大は巨大写真コーナー=縦型はパソコン画面の二倍)

田中正造を目指して館林への道

【パート1】

この文書に関しては(安らぎブログ)「フィールドワーク・東京」(2017年11月30日)の記録―5(http://h-takamasa.com/Blog/?p=12374)参照。

田中正造への道は三つの形で妨害された。
①人間違いに絡めた策動。
②天皇🆚👺に絡めた策動。
(日本のフィクサーMEの布袋さんは👺は官邸と言うが定かではない)
③フィールドワークを妨害するための半徹夜催眠独り言である。

③に関しては、秋は夜が更けるのは早い。すると早朝から活動しなければ必要なフィールドワークは不可能となる。可能ならば午前5時か6時起床がのぞましい。ところが、半徹夜催眠となると、起床が遅れる(時には朝の5時頃就寝である)。しかも、初日は完全徹夜で上京である。その後も毎回睡眠時間不足となると、風邪その他のリスクが高くなるため、どうしても起きる時間が遅れる。

その上、移動時間もある。すると現地について、間もなく日が暮れ、フィールドワークはまともにできなくなる。典型的にやられたのが2015年5月の野麦峠の旅である。2016年長崎の旅もそれに準ずる。2017年東京も同様であった。
これは1995年のタイの旅などではなかった。それどころか1989年野麦の旅や、同年夏のSingaporeへの旅では逆に早朝起きであった。1996年長崎・水俣の旅でも同様であった。

記憶では2013年中国の旅でも同様(早朝起床)であった。2013年12月の訪韓の頃からおかしくなる。

斯様(かよう)な妨害の目的は現時点でも不明である。


④の策動の気配は、写真掲載とともに少しだけ語ろう。少しのみの理由は現時点でも不明の部分が多いからである。上京目的は後に述べるが母校・早大行きにあった。金欠のため、早大だけでは上京費用がもったいないので、田中正造や佐倉惣五郎を付け加えた。後者は上記の妨害のため不可能となった。
すると、田中正造の明治天皇への上訴にかこつけて、私が平成天皇に上訴するのではないか…という印象操作などが行われてゆく。

①の人間違いについては #駿台 予備学校講師時代との因果を臭わされた。駿台予備学校辞職を決意する1987年も11月に「人権擁護局と法務省」の印刷がついている、意味不明の差別文書と、威嚇的意味をもつ真夜中の車の写真が何枚も掲載された文書を、「化学のK先生から」と言って、見知らぬ人間から手渡されたからである。

そして、駿台講師時代の 授業妨害、刑事犯罪被害も何を目的にやられたのか約35年経(た)っても全く不明である。日本のフィクサーME登場の布袋さんモデルは「一連の被害は人間違いが原因」と明言していた。

この三つの話は田中正造への道関連の写真掲載とともに語ろう。


(A)当初の出発前(下記などで、当初出発予定までに上京準備ができなくなり、延期へと追い込まれる。キャンセル手続…)
▽(住所は我が家ではない。宛名は小学校である。個人情報問題から両封筒一切中をみず、法務局・法務省などに連絡をこころみる。)

我が家のポストに入っていた封筒―1

 

 

(住所は我が家であるが、宛名はZさんであり、私ではない。しかも、我が家に住まれていない人である)

 

我が家のポストに入っていた封筒―2

浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada

17-215-10。津山人権擁護委員協議会・岡山法務局津山支局と記載された文書二通我が家のポストへ入っていた。個人情報保護の視点から、封筒記載の電話番号に、岡山市法務局、東京の法務省にも電話も留守電で門前払い。処理に困り、インタネットで問合せ。問い合わせ内容はトラブルブログに間もなく掲載

☟(同一文書のTwitterアドレス)

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/928977900736462850?s=20

浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada

画像

☟(同一文書のTwitterアドレス)

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1227938289023250433?s=20

(B)出発

11月26日
(前日25日から)完全徹夜
26日午前
04:30頃自転車で我が家発(駅まで約6キロ)

午前4時半我が家を自転車で出発。6㎞を重い荷物を積みでる。駅着。☂でなくよかった。午前5時撮影

D800の方は正しくセットされておらず約7分進んだ表示であった。
そこで📷表示よりも7分引いて掲示。

巨大写真コーナーはもう少し見える写真を2021/04/23掲載予定。

2021/04/23 12:52 追加

①出発:午前5時15分の汽車に乗る。

午前5時15分の汽車(上月行き):午前5時14分頃撮影

いつもの如く、乗客は一人かと思うも、一人だけ乗っていた。

午前5時15分

汽車の中にて(1)

午前5時22分

汽車の中にて(2)

午前5時23分

皇室🆚👺の👺を官邸と言っていたのは、(日本のフィクサーME)の布袋さんではなく、朝日新聞とNHK関係者の一部であったと思う。
私は当時は何の事かチンプンカンプンであった。今は真偽不明である。

朝日新聞取材班 (著)
秘録 退位改元 官邸VS.宮内庁の攻防1000日

いやNHKの方は相澤冬樹著
『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』
あるいは
田崎史郎
東京五輪「皇室の政治利用」をめぐる首相官邸VS宮内庁の深刻な対立
のようである。

官邸🆚宮内庁のみが今検索で表示される。官邸🆚皇室は全てに近く今(2021/04/23現在)は検索サイトに登場しない。登場しても、下記などをクリックすると、もう閲覧不可能となっていた。下記は日刊スポーツであるが、クリックすると「お探しのページはみつかりません」とある。当時は日刊スポーツに限らず、いくつかのメディアが報道していた。
現在は登場しない。
この話を書きかけると、「アベ…」という選挙カーが突如我が家の前を走る。本日(2021/04/23)12:30頃も走った。
何のことか意味不明も、馬鹿馬鹿しいジョークか、意味深な事項かは、私には未だに不明である。

「官邸 対 皇室」の検索結果 – Yahoo!検索 – Google Chrome

ともかく、「チンプンカンプン」な騒動に巻き込まれることになる。

 

外は真っ暗のため、汽車の窓が鏡の如(ごと)し、自分でも写そうか。そろそろ、私の顔を紹介してもよいか。いやいや、規制にかかると。(規制とは、海外では、私の外出阻止か、逆に、私が通る道は人や自転車の往来は禁止で、人口一千万の上海・蘇州、その他…規制時間は誰一人としてあるかず。夕方でも。韓国は軍隊まで出動、アメリカは…。大変なのです。):

2021年4月25日掲載。

ME

 

(2)上月(2021年4月25掲載):上月着:午前5時41分。ホームを変えて、出発は午前5時54分。

上月にて①:📷17-061-007→何故絵風にレタッチしたか

上記を撮ったまま掲載すれば以下となる。

上月にて②:17-061-007の撮ったままの写真

線路を渡り、別のプラットホームに移動

17-062-026

皇室🆚👺…は、実は、このときは思っていなかった。
そうした発想すらなかった。
東京についてから、その趣旨を臭わされたのである。

道中記で徐々に記すが、上京の目的は母校の一つである早大にあった。
簡単に言えば早大が全てである。
だが、金欠のため、何度も上京できないため、交通費や宿代を考えると、幾つかのフィールドワークも別にした方が良いとなり、田中正造と佐倉惣五郎を思いついたのである。

しかし、私がフィールドワークをするとなると、信じ難い妨害に遭(あ)う。村にいるときから、デマが飛び交い、大変である。そこで2016年のフィールドワークで長崎・水俣を訪問する際には、ミスター・オバマなどが防波堤になってくれたと思っていた。2015年訪米の関係で…。

そして、2017年も妨害が予想されたし、実際に幾つもの妨害があった。そこで、その防波堤に今度は皇室関係がなっていただいたのかと思った。というのも、小泉内閣で皇室典範改正問題などで諮問のようなものをうけていたからである。私の方は、小泉氏に私の人権救済を依頼したため(書留文書で送付したため)、それとのバーターで皇室問題について2005年言ったにすぎなかった。

ともかく、私のフィールドワーク妨害の防波堤になっていただいたと思っていたので、それでは礼儀で上京の際に、皇居も訪れようかとなっただけである。実際に訪れたのだが、ところが、…。

誰かが、官邸か何かにデマを飛ばしていたようである。
皇室🆚👺については、実は、ほとんど何もしらない考えられることは、誰かが、官邸などにデマを飛ばした疑惑である。デマのため、内容は、私には分からない。その影響がこのフィールドワークでは随所にでることになる。

なお、フィールドワーク妨害と書いたが、正確には、少しでも仕事に繋(つな)がることをしようとすると、狂ったような妨害がある。簡単に言えば営業妨害である。確実になされだしたのが1986年か1987年であり、萌芽(ほうが)は1984年、恐らく仕組まれたのが1983年(私の駿台講師2年目)である。
かような被害に遭う心当たりは全くない。1984年から37年考えても全く意味不明である。そして、この頃からちんぷんかんぷんの連続となる。亡き友人は人間違いが原因と謎の言動をしていた。

ちなみに、私への怒りや危害のほとんど全部が勘違いと思っていたが…後に考えるとデマが原因の確率が高い。何故(なぜ)、斯様(かよう)な被害に遭(あ)うかは徐々に記すが、心当たりは一切ない。回答は映画説でも、筋がきのない出鱈目(でたらめ)ドラマか人間違い以外にはありえない。

誰かが、「(私の)上京は…確かに仕事だ、(だから妨害云々は…)」と言っていたが、逆である。仕事だから妨害されるのである。仕事に繋がることは全て狂ったような妨害を受け続けている。それも約40年近くとなる。完璧な職業選択、経済の自由などの剥奪(はくだつ)という人権侵害である。

やがて姫路行きの汽車がくる。(ここから次回へ)

(2021/04/28掲載)超多忙で、予定の文書は記述できず。次回以降の箇所で検討

2017年11月26日午前5時55分頃、上月駅にて。:写真№17-062-027

類似写真で、少し明るめに写す。(比較検討のため、掲載)

2017年11月26日午前5時55分頃、上月駅にて。:写真№17-062-028

 

(3)姫路(4月27予定)〈4月28日掲載〉

2017年11月26日午前7時15分頃、姫路駅にて。:写真№17-062-046

 

(4)東京道中(4月27日頃予定)〈4月28日一枚のみ掲載。残りは5月1日掲載予定〉

2017年11月26日午前9時45分頃、新幹線の中から。:写真№17-062-074

【2021/05/01掲載】

東京に着いてからは、人間違い・家間違い挑発と、皇室🆚👺(マスコミの一部は当時の官邸というが定かではない)の争いに巻き込まれた被害が続出する。それらは該当箇所で掲載しよう。原因は👺の勘違いか👺が誰かのデマにだまされたのであろう。もはや何をか況(いわ)んやである。

さらには様々なフィールドワーク妨害があった。特に睡眠時間をやられた、秋の夜更けははやい。ここをやられると身動きがとれなくなる。

ともかく、館林にたどりつくにはこうした妨害の嵐をくぐってであった。

本文に戻ろう。

新幹線は速い。その代わり料金が高い。新幹線でつかれなかっただろう?早朝発のため徹夜である。一睡もしていない。これならば高速バスと同じであろう。しかも、姫路までは鈍行で数時間かかってもいる。夜行便高速バスならば姫路ではなく、近くの津山である。新幹線ならば遠方の岡山駅か姫路駅か大阪駅発となる。

徹夜で行くとなると、…🤷。金がかかっただけではなかろうか。理由は最初の家間違い封筒対策が原因であった。

津山人権擁護協会・法務局に連絡すると、「(我が家と同一番地を使用された、隣人・)相手に渡さず・中を見ずにもっておいてくれ」であった。ところが、金曜日の夜入れられ、即座に津山法務局、岡山県法務局、東京霞ヶ関の法務省に電話したが全て留守電対応であり、翌週を待たねばならなかった。

 なお、人権擁護協会か法務局から来たと言う人物は詫びすら一言も私にはいわなかった。私は行政の僕(しもべ)ではないのだが。人権擁護協会の偽者疑惑もあり、名刺がでてきたならば人物名は公開予定でいる。なお、津山人権擁護協会か津山法務局の人間に私が私の名刺を渡したときに、相手は「(私の)HPをみてもよろしいのですか」と含み笑いか意味ありげな笑いをした。

 私は「私のHPは是非、みてください」と言ったが内心呆(あき)れていた。というのも、私のHPアドレスは年賀状・その他の手紙・葉書で地元の美作市役所はもとより、日本中の数十以上(百には少したりない)の自治体(教育委員会・市役所)に送付している。長崎市などは市長個人宛である。広島市も同様である。国レベルでも文部科学省(正確には馳文部大臣宛)…などに送付済みである。それどころか、世界の要人(大統領・首相クラス)にE-mailかSNS通信などで私のHPアドレスは公開している。国内では幾つもの大使館に送付している。こうしたことを知らないのかとあきれ返った。笑止千万であった。

 ベトナムと美作市が多少関係あるようであるが、ベトナムの三役(主席、首相、国会議長)のいずれもか何人かは(全員に送付しているため恐らく三人全員が)、私の名前は知っていることは確かであるが、美作市長の名前は知らないであろう。

 ちなみに、私が自由な頃には、学問上不明のことがあれば、昔の自治省に直に質問にいっていた人間である。まだ20代後半の頃であった。市川房枝氏と面会し一対一で会話したのもこの頃である。2000年以降は私の人権救済を延べ百人以上の国会議員・政府関係者に書留送付してもいる。もっとも2015年2月以前は、HPをたちあげていないため、HPのアドレスは書いていないが。

 法務局から…といって封筒を取りに来た人間の対応を見ていて、これで本当に大丈夫なのだろうかとあきれ返った。名刺がでてきしだい公開しておいた方がよかろう。本物なのか。法律・人権の知識が本当にあるのだろうか…。

 ※なお、ベトナム政府も、トラブル原因が住所間違えにあったことを暗に示唆していたように思えた。もっとも、ベトナム政府の件は2020年前後であった。他の仲の良い国は2019年頃からしきりに…を示唆していた。世界の首脳は…を知っているようである。私だけがはっきりと知らないに近い。

今度こそ本文に戻ろう。

新幹線から富士山が見えた。なお、動いている列車から撮るときのシャッタースピードは原則として1/1500(1500分の一秒)よりも早い方がよい。手振れ防止がなくても原則としてそのスピードで止まる。実際、今回の車窓からの写真は原則として手振れ防止抜きである。

2017年11月26日午前9時44分頃、新幹線の中から。:写真№17-062-072

2017年11月26日午前9時46分頃、新幹線の中から。:写真№17-062-078

(5)東京着(4月29日予定 5月1日掲載予定→この後はPart-2で別ページへ。)

2017年11月26日午前10時50分頃、東京駅:📷№17-062-093

💀亡き父:

何故、上だけを写したか。広角レンズがないのか。

🤡(ME)

:予告をすると工事が多いのだ。もしくは下記のような鉄柵が。

東京へ行く約2か月前の関学も、2021年4月20日の月の輪古墳も。…これは偶然かもしれないが富山県の黒部ダムも…

それに目的の一つであった井の頭公園北村西望館は休館連続で、私が東京から離れる翌日から営業再開だ。

もし、故意にしていても、これらは妨害の中では軽度のものである。

少しでも広角・標準アングル撮影に近づけば下記だ。

2017年11月26日午前10時50分頃、東京駅:📷№17-063-004

 

 

次回から新ページで館林への道(パート2)

 

 

2021年5月1日 | カテゴリー : 未分類, 東京 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA