大阪光の饗宴―2

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本館・第四会場―直近の旅臨時・参考掲示
下記写真→(1)この頁=2015年12月 Z日から日撮影。
※いずれも、セレクト前→セレクト及びレタッチ修正後後置換え再掲示予定。Fieldworkの記録は下記ボタン

(1)写真物語・本館第四会場→適塾と光の饗宴の一部⇒第四会場
(2)写真物語・本館第五会場→光の饗宴の残り
※参考:a)大阪の歌・「若い二人の心斎橋」吉永小百合、三田明、b)参考写真・手塚治虫記念館

⑤光の饗宴―1:解説の詳細は公式HPの2015年Fieldwork-8(Fieldworkの記録5頁)参照。

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⑥光の饗宴―2:解説の詳細は公式HPの2015年Fieldwork-8(Fieldworkの記録5頁)参照。

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⑦光の饗宴―3:解説の詳細は公式HPの2015年Fieldwork-8(Fieldworkの記録5頁)参照。

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⑧光の饗宴―4:解説の詳細は公式HPの2015年Fieldwork-8(Fieldworkの記録5頁)参照。

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⑨路上パフォーマンス―1。
人物の動作、光の角度、全体の場面構成が完璧に決まり、写そうとすると、何故かリモートコントロールされているが如く、シャッターがきれなかった。それも二十度も。詳細は公式HPの2015年Fieldwork-8(Fieldworkの記録5頁).これ以上の場面構成で、人物、光、観客、何よりも玉などのオブジェの配列がよいときに、ここぞ、とシャッターを切ると、シャッターが毎回動かなかった。その写真が撮れていれば、下記写真は掲載していなかった。撮影未遂はそのくらいの出来であった。

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⑩路上パフォーマンス―2。
人物の動作、光の角度、全体の場面構成が完璧に決まり、写そうとすると、何故かリモートコントロールされているが如く、シャッターがきれなかった。それも二十度も。詳細は公式HPの2015年Fieldwork-8(Fieldworkの記録5頁)

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⑪大阪、光の饗宴。
今回は自らの課題から考えると敗北。詳細は公式HPの2015年Fieldwork-8(Fieldworkの記録5頁)。だが、機会があればいつの日か。SEE YOU AROUND。

(●)大阪の歌。 「若い二人の心斎橋」吉永小百合、三田明

関連文書(Fieldworkの記録)→2015年Field-5頁

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●手塚治虫記念館(12月23日):
宝塚市ふるさと割への返礼として訪問。ただし、全年ながら、今回の写真は(私の目から見ると)全滅であった。再度、いつか撮影にくるであろう。それでも、来た参考に一枚のみ掲載。掲載写真は肖像権上問題ないものを使用。

もし、再度、いつか大阪光の饗宴へ行ければ、そのときこそは。
よく撮れているではないか。それは誤解である。ルミナリエ撮影に関する、私のコメントと掲載写真を読んでいただきたい。

Twitter15-156-3から三枚は.駄目。Twitter 15-156-7でOKである。だが、多くの人が駄目の写真を良いというであろう。だが作品ではない。15-156-7の写真を見て、初めてそれ以前の写真が駄目なのを人は分かるであろう。15-156-3に該当するのが、今回の、大阪光の饗宴写真である。そして、15-156-7に該当する写真を撮ったときに、初めて人は今回の大阪光の饗宴の写真が駄目な理由が分かるであろう。Twitterを見ない人は、私の写真物語・本館第三会場を見ていただきたい。

Twitter15-156-7は神戸ルミナリエに過去約六千万人が訪れ、誰も撮っていない写真である。そして深さも、内容もある。私が撮った大阪光の饗宴の写真は百人がいれば百人が同じ撮り方をする。そこにオリジナリティはない。哲

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2019年11月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA