島原:1996/11/19:直近の写真(2017年再編集):島原斜光。:実験掲載中

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島原:1996/11/19:直近の写真(2017年再編集):島原斜光。

 

●写真はいずれも、一度クリックでパソコン大、二度クリックで巨大になります。

 

1996年11月19日(火曜日)民宿・住吉発:午前6時

●6時30分鬼池フェリー乗り場

●7時~7時40分鬼池~口之津船中(徐々に太陽が見えてくる)。

1996年フィルム式カメラで撮影。
―技術が未熟、更にフィルムで(プロビア100のみではなく、ネガ)ISO800も一部使用、レンズも(目が悪いにもかかわらず)一部マニュアルレンズ使用でピントの甘さなど問題がある。

しかし、自然の神秘を紹介したいため、掲載した。
なお、この旅は水俣から長崎への旅であり、写真物語館・長崎原爆に全体像と解説を収録している。


該当箇所のアドレスは以下である
http://h-takamasa.com/tamashi/policy.html

違いは、このブログ型ではワンクリックでPC画面、クリック二度でパソコン画面を超える大きさに拡大できることである。
そこで、こちらのブログにも掲載した。



①夜明け前の相当暗い中、動くフェリーの上から撮影。1996年のため、手ぶれ防止レンズや高感度対応はなし、しかも当時手持ちのレンズは全て暗い(開放地でF3.5、F4.5、F7.1などのレンズ)。

解像度劣化を覚悟でネガISO800を使用して博打撮影。

写さないよりはよい。以下、①~⑥はISO800のネガ。

拡大すると劣化がひどいので、レタッチ網加工

 

 

96-127-09A-fAmi



②同上。(レタッチ網加工)

96-127-14A-f-ami



③同上(ただし、レタッチ抜きを掲載。撮ったまま)。開放値f7.1のマニュアルレンズ(焦点距離500㎜)。

96-127-11A-f



④同上(ただし、レタッチ抜きを掲載。撮ったまま)

96-127-12A-f2



⑤同上(ただし、レタッチで網加工)

96-127-12A-f2Ami



⑥かなり明るくなってくる。(鳥や船は合成ではありません)

96-128-07-f



⑦ここから思い切って、ブレ覚悟で、ポジ(リバーサル)フィルムISO100で撮影。

レンズが暗いため、動く船の上からの撮影はやはり博打であった。

96-128-01-f



⑧同上。(鳥は合成ではありません)

96-128-02-f



⑨ここからはフェリーから降りて陸上での撮影。かなり楽になる。

(鳥は合成ではありません)

口之津から島原への道中(自家用車)

96-128-13-f



⑩同上。

96-128-08-mf



⑪同上

96-128-18-f



⑫この鳥は合成ではない。実際に撮った鳥。

撮影技法は簡単。

鳥を狙っては駄目。

先に場面構成を考え、ここに鳥が来たら撮ろうと考え、ひたすら待つ

くればシャッターを連写。こなければあきらめる。

鳥の撮り方も一に場面構成、二にピント、三に露出である。

同時に鳥が見えてからシャッターをきったならばタイムラグで駄目。

来そうと思えば何枚もシャッターをきりつづけて撮る。

そこで、鳥が来そうと思い何度もシャッターをきり、鳥が来ず、あるいはコースを変えたため、鳥抜きの類似写真は山ほどある。

96-128-27-f-300kb



⑬同上関連写真。

96-128-23-f






2016年水俣から長崎再訪で、今度こそ、島原の海を決めようと考えていた。

ところが長崎で独り言云々で大量の時間を損失し、島原の海についたときは暗くなっていた。

また、道中、海の写真を撮るなんて、子どもみたいと揶揄(やゆ)されたが(それはそれで良いのであるが)、デジタルカメラで明るいレンズで決めていたら凄い作品になったのであるが。

1996年は器財はよくなかったが、分単位どころか秒単位で行動ができた。

2016年は器財は一定あったが、水俣につくまで、途中膨大な時間ロスで、海もそうであるが撮る予定の被写体を幾つも逃した。

あるいは目的地すら一部断念した。

詳細は「日本のフィクサーME」続編メモ(長崎再訪裏話)か「旅に心を求めて」シリーズで記述することにする。