宝塚



【旅一日目、2015年9月9日】
①我が家9:48~②大学時代の食堂(閉鎖)~③大学時代バイト先ホテル(宝塚ホテル)
【旅二日目、9月10日】
①ホテル~②関学[10:45~12:15]~③適塾[13:20~14:45]~
④阪神尼崎駅前世界連邦平和像(場所が分からず)~⑤我が家着20:00
★他の候補地⇒甲山。大坂城世界連邦平和像、瀬戸の海…⇒雨天と多忙で中止
★乗り物=青春18と宿=ふるさと割りを使っての旅

旅の詳細な日程⇒公式HP>2015-Fieldwork:クリック



【旅の目的】
①学校論⇒適塾・松下村塾vs東大・京大:母校:その他
②63才目前で、人生の先が見えてきたため思い出の地を訪問(回想の旅)
★今回は、暫定掲示のため、品性が多少乏しい文章を記す。逆に言えば、好きなことを思うがままに記す。後日a)母校特集、2)学校論(適塾・寺子屋~)、3)ザ・ホテル特集を組む。そのときに、関学・宝塚ホテル・適塾なども良質な写真と、推敲(すいこう)した文章を記す。

★写真は全て面白い写真に限定し、まともな写真は上記のときに掲載する。


(1)宝塚ホテル
大学時代に、大学1年後半から大学2年まで180日以上バイトをしたホテル。
家からの仕送り額の最高が月1万5千円。奨学金はたった5千円であった。高度経済成長期の終わりで、物価がどんどん上がっていった時期。卒業する頃の大卒初任給が軽く十万円を超えていた。しかも、毎月、1~2万円本代と資料を購入していた。よってバイト三昧となる。


①宝塚ホテル


※人物は、後ろむき、かつ被写体ブレで肖像権上問題なしと判断し掲載。建物は手振れはしていませんし、ピントも合致しております(元画像⇒3600万画素ですが、拡大すればするほど人物の被写体ブレが激しくなります。肖像権には尚更ふれません。)



②バイトはほぼ徹夜でA班とB班で交代で行っていた。共に関学生。私はB班であったが、A班の一人が休んだため、助っ人(すけっと)で行ったことがある。A班はマンドリンクラブの連中であった。当時の学生は悪戯(いたずら)好きときている。彼らは一年生の私に、このホテルのバイトでは、火災訓練のため、ホテルの一番高いところからロープで下りることになっている、ときた。


真(ま)に受けた、私は高所恐怖症にも拘(かか)わらず、ホテルの天辺(てっぺん)からロープをつたって下に降りた思い出がある。そう高くはないが、これと同様(新館か何かの天辺)かもう少し高いかである。そこで、そのときの思い出用に写した。(上の写真は旧館。)
なお、当然、私も一年生ながら若干仕返しをした。それはFieldworkの記録参照。




③念のため、屋上を写そうとした。私の撮影哲学は暗い所ではストロボ(フラッシュ)は使うな。ストロボ類は真夏の炎天下の海水浴場などで使え、という主義である。暗さには情感があるのだから。
すると、上の女性がピースはするし、万歳はする。撮れる訳ないわよ!三脚も使わず、ストロボも使わずなんて、ときた。


※上の写真は肖像権保護・プライバシー権保護のため、写真にモザイクをかけ、かつ解像度を落とし、スマホなどで引き延ばせないようにしている。万一、引き延ばしても、モザイクが大きくなり、顔は特定できない。勿論、原本では手振れもしている。ISO800で三脚なし、ストロボなしである。(手振れ・モザイク・解像度落とし・引き延ばし不可⇒肖像権・プライバシー権には触れないと判断し、掲載)。




③女性のところをピースが見えるようトリミング拡大。(顔はモザイクで特定不可に処置)




ピースはされるし、その後で万歳もされるし、そして、当然、手振れである。だが、私はそうした類のことでは怒りはしない。
どうしたか。その夜、トイレに入って泣いた。そして言った。『ニコンの馬鹿野郎!』『ニコンが安くてよいレンズやカメラを作らないからだ!』、と。
勿論、冗談です!




再度、記します。このケースは、手振れ・レタッチでモザイク加工・解像度落とし引き延ばし不可能、更に相手がカメラにむかってピースや万歳をした以上、肖像権にはふれないと思い掲載可能と判断しました。


ニコンの名をだしたのは、カメラは他の器財と異なり、マウントに制されるため、ニコンとかキャノン……のカメラ器財をそろえると、よほどの金持ちでない限り、他社には移動できないのです。そして、私は最初のカメラがニコンでしたので……。



 

2019年12月22日 | カテゴリー :