関西学院大学:2015年9月10日
【α・旅の概況】―テーマ・回想の旅
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【旅一日目、2015年9月9日】
①我が家9:48~②大学時代の食堂(閉鎖)~③大学時代バイト先ホテル(宝塚ホテル)
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【旅二日目、9月10日】
①ホテル~②関学[10:45~12:15]~③適塾[13:20~14:45]~
④阪神尼崎駅前世界連邦平和像(場所が分からず)~⑤我が家着20:00
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関西学院大学-母校・関西学院大学(1975年卒業)
①キャンパスの至るところにある木の根
年をとると、否(いな)、人生に嫌気がさすと、何故(なぜ)か、何でもないものがいとおしい!
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②崩壊しかけた木?
崩壊しかけた木でも、支えよう、復活させよう。木でも、そうならば、学生は尚更である。教育の姿がそこにある。と言いたいが、過保護は厳禁!
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③キャンパス内の日本庭園近くの蛙。
――蛙の像を見て、つまらぬことを想像した。学生が、授業を抜け出して、この蛙の頭をなで、「いいこ」「いいこ」している姿である。
私も年をとると、子どもというよりも孫でもおかしくない学生を見ると、失礼なことを想像するのである。関学出身者だから書いても問題ないであろう!
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なぜ、そうしたことを思うのか!
もし学園紛争がなく、そして当時こうしたオブジェがあれば、私ならば授業を抜け出して、オブジェの頭をなでていたと思うからである。
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④関学キャンパス内の日本庭園。
――雨の中、かなりの時間、日本庭園を見る。近くで学生グループが歌を歌っていた。私には小鳥のさえずりの如くに思えた。
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⑤関学の中央芝生。
――大きく引き延ばせば分かるが芝は雨で濡れ、活き活きしていた。
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※関学卒業後、早大大学院政治学研究科を修了した。どちらも母校である。
どちらが良いかとは、父親がよいか、母親が良いかというが如しである。
私は平等主義者。
早大に同窓会費を振り込んでいない以上、関学にも振り込めず。
関学の校歌を覚えていない以上、早大の校歌も覚えていない。
ただ、訪問回数は交通費と時間の関係で、関西に家がある以上、関学の方が多い。
関学と早大の使い分け。
関学出身と言えばサービスが良くなったり料金が安くなるホテルでは関学卒業を強調し、早大卒と言えばそうなるときは早大大学院修了を強調する。
関学から早大へ転じざるを得なかった理由は拙著『閉じた窓にも日は昇る』などの作品に記している。
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⑥中央芝生―2。
――この日は御覧の如く曇天。
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※しかし、曇天でも決めねばならぬ。
曇天の撮影方法は、浜田隆政写真物語・技能の間第三話を参照。
この日も決められたのであるが、軽く撮り、後で再撮影しようと思うと雨が降ってきた。
もし、空の雲のグラデーションが出ると思えば絞ることを勧める。
私は、最初は軽く確実に記録に残すため、回折現象を気にしてf8までしか絞らなかった。
Film式カメラならばf16-22程度まで絞るのであるが。
曇天の日の 撮り方は以下参照。
浜田隆政写真物語・技能の間三回曇天の日の撮り方
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◎2005年時の関学撮影
2005年に関学訪問したときは、下記以外でも、きっちりと決めたのに。
最近の生活の乱れ、否(いな)、多忙さが、写真に反映したのであろうか。
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今回(2015年9月10日)は曇っていたのだから、雨だったのだから仕方ない。
それは違う。
撮影は、数学の如く計算、格闘技同様の体力、そして芸術からなる。
その上で、その人の個性から出る感性が物を言う。
チャップリンは言った。ゴミ箱の中でも美を見ることがある、と。
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ただし、写真は観念論だから、自分の頭に描いた姿に自然がなるのを根気強く待たねばならぬときがあることも事実でもある。
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