№001-02・仏像に愛を見る(2)
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仏像に愛を見る(その4・審美!)。
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「教師と子どもの碑」から仏像。
実は同じテーマだったのです。
さらに、その延長上に、長崎平和祈念像があります。
これについては拙著『旅に心を求めて・不条理編(下)』(安らぎ文庫・Kindle版)で少し触れる予定でおります。
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長崎平和祈念像の制作者・北村西望氏についても解説する予定でもいます。
この方のご子息とは恐らく、北村西望記念館でお会いしたのではないかと思っています。
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次に最初の写真でわずかにピンぼけの写真を使用しました。なぜか。
それは二つの理由からです。
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一つ目は、奈良の大仏は(仏教でいう)宇宙を表現しております。
そこで幻想性を持たすため、敢えてわずかにピンボケの写真を使用しました。
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二つ目は、ピンボケには情感があり、私の撮影技法の一つなのです(自称、ピンボケの魔術師)。
ただし、どの程度ぼかすかが難しく、カメラ用語で言えば、ピンボケの(オート抜きの)ブラケットが必要です。
難易なことを抜きに、奈良の大仏の手(写真№12-005-128)と飛鳥大仏の写真(写真№14-039-203)を掲載しますので見てもらえれば分かると想います。
ただし、後者は蝋燭(ろうそく)にピントを合わせていますが。基本は同じです。
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(写真№14-039-203)
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同時に、最後に、ピンボケをしていない奈良の大仏の手の写真も掲載しておきます。
(写真№14-044-132)
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仏像に愛を見る(その5・輝く手)
最後に奈良の大仏の手(ピント合致)と最後の一文を掲載します(写真№14-44-132)。
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★★★以下、である調にて失礼★★★
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奈良の大仏の手は、この日、輝いていた。
「教師と子どもの碑」の教師の手も私には輝いて見えた。
この両方の手は同一である。
そして、あなた方のおかあさん・おとうさんの手も同様に輝いているであろう!
この原稿を読んだ後で、そっと見てみるが良い。
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平和と安らぎへの道は、社会科学でも、自然科学でも、芸術でも、真のスポーツを通してでも、本当に魂を込めて作られた仏像や彫像を通してでも、どの道を通ってでも同一であると考えている。
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From 「The messenger for a great peace of mind(平和と安らぎの伝道者)」
(写真№14-44-104)