長崎:撮影日2016/11/23-24:旅に心を求めて№7-4:長崎から水俣まで・長崎4・グラバー園と日本二十六聖人
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★長崎から水俣までの旅二日目(その3)と三日目の行動記録
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2016年11月23日後半と24日の行動
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(11月23日後半)
市電大浦天主堂下下車
18:13=大浦天主堂夜景(時間が適切な時間に少し遅く撮影は中途半端)
18:24-19:38=グラバー園撮影。
→大きな所で、帰り道が分からずに弱る
19:43=大浦天主堂
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思案橋下車
20:30=長崎チャンポンを食べよとすると知らぬ人間に絡(から)まれる。
帰宅数ヶ月後に誰かを寝ているときに種明かしあり。
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01:00=ホテルで夕食。午前1時頃寝たか?
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11月24日の行動
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5:00~10:00:午前5時起床→動機特にない状態で独り言続き弱る(フィールドワークは分単位・秒単位の行動が要求されるため)
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午前10時過ぎホテル発。
10:38: (市電長崎駅下車)10:38頃
10:48~二十四聖人撮影
11:11長崎発~11:56島原着(諫早に向かう)→ここ以降は次回
12:15諫早駅発~(島原に向かう)
13:08島原着:島原城と北村西望記念館:島原発(バス)
16:00過ぎ:島原発(バス)
16:30頃島原港着
17:30発~熊本港18:10頃:島原~熊本(オーシャンアロー号で)
頃:バスで熊本駅(18:55分頃着)→バスが良い時間に来る
19:06~19:42:JR(熊本~八代)
20:26~21:32:(肥後オレンジ鉄道)→八代~水俣
22:00頃ホテル着。
夕食などで外出し23時前後ホテルへ戻る
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◎11月23日夕方から24日午前11時頃までのメモ
①23日一番最初の予定
二十四聖人撮影→島原・北村西望記念館→島原~熊本の海を船から撮影→熊本~水俣への夕日の海を汽車から撮影予定。万一早くつければ、水俣で夕日をとも考えていた。
②23日起床後の予定→昨日、催眠などで時間潰されたため行き損なった二十六聖人→島原・北村西望記念館→15時半発の船で熊本へ(海の撮影)→熊本~水俣道中の夕日の海撮影に切り替える
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③トラブル類
○11月23日朝のトラブル
午前中の催眠としか思えぬ独り言→これで、大浦天主堂やグラバー園からの夜の長崎の本格撮影が無理となる。また二十六聖人も23日には行き損なう。24日実施するが、24日の当初行動の相当数に支障、また一部は取りやめに追い込まれる。
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○11月23日夜のトラブル
長崎チャンポンを食べよとすると知らぬ人間に絡まれる→20:30頃か
長崎チャンポンを食べようとすると、店の前でおかしな人間に絡まれる。「チャンポンを食わずに、拉麺を食え」とか私に向かい「ちゃぃにーず」とか。面倒なので、ドイツ語で「Wie geht es Ihnen? Woher kommen Sie?」と言うと、漸く立ち去る。
また、店では面の見本を見て、生卵がはいっていない方の長崎チャンポンを頼むと、逆に生卵をいれたのを持ってくる。
ただし、店については何も言わずに黙ってでる。とは言っても店内で独り言が止まらず。相手もドイツ語が多少分かるとは官僚類かと疑う。
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相当後(数ヶ月後)の寝ているさなかに、眼鏡橋にからめて、某眼鏡店で昔知っていた人と種明かしあり。
それならば一声かけてよ、となる。(詳細はField管理などに記載予定)
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○11月24日朝のトラブル
この日は、昨日の因縁かいちゃもんをつけられたことを契機に、独り言が止まらず、貴重な4時間をこの日も朝台無しとする。結果→17時の島原発の船となり、熊本から水俣道中撮影どころか、島原から熊本道中の海撮影も事実上不可能となる。この日相当喋らされたが、早くホテルを出て、フィールドワークの目的を果たすことを常時考えていた。
しかし、そう考えても独り言が止まらず、出発が遅れる
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メモ→宿:リッチモンド思案橋(解説は後日:以下、帰宅直後のフィールドワークメモ)
(料金)2泊合計で消費税込み13000円(22日7500円+23日5500円)―(私の所有する楽天ポイントの一部使用で)ポイント10000ポイント=3000円。確か楽天ポイント10%バック(1300円)と思ったが不明(現時点では130円バック)。またポンカンバックあり。
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部屋は23平方以上で、かなり快適な部屋であった。…マイナス点は一日目に目覚ましが午前6時(11月23日午前)にセットされており、朝鳴ったこと。備え付けの目覚ましは必ず、次の客のときはOffにしておくこと。
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宿なし覚悟で行ったため、助かったことは助かった
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(1996年長崎訪問時も宿では助かった:今回追記)
1996年長崎訪問は、後日、水俣から天草から長崎~阿蘇の旅で記すが、このときは長崎に到着するまで宿をとっておらず、着いてから探した。同じく、11月の行楽シーズンである。あるはずがない。実際に、どこに行ってもなかった。
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あきらめ、長崎平和祈念像だけ撮影し、近隣の市町村で宿をとることにした。その前に資料館訪問。あるはずがないが、資料館前の「セントポールホテル」で聞いたならば、大きな4人部屋を提供された。価格は約6千円であり、窓からは長崎の夜景が見渡せ、部屋中からも撮影できた。
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2016年の長崎再訪では、当然、セントポールホテルの撮影もしている。
このホテルの窓から撮った写真も一部1996年の旅(写真物語・長崎原爆館内→現在改訂作業中)に掲載予定でいる。
1996年も、あるはずがないときに宿があり、しかも、目的の長崎平和祈念像まで歩いていけ、資料館のすぐ前、さらに長崎の夜景も部屋のまどから見渡せた。価格も、部屋の大きさからはあり得ないほど安かったのを覚えている。
1996年の件は忘れない。
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◎(です・ます調へ変更)この旅では、それ以外に、岡まさはる記念館、その他を含めて多くの方に親切・丁寧に対応していただき、それも長崎びいき・今回の長崎訪問につながりました。
1996年長崎訪問もどこかで丁寧に記述します。
あのときは宿などでどんなに助かったか、更には利便性も図っていただき、まさに分単位・秒単位の行動も可能となり、それらもあり、2016年「長崎を世界に」という思いを抱き、長崎再訪となりました。
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長崎には1996年、2016年とお世話になりました。
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①グラバー園入り口→クリックでPC大拡大、二クリックで巨大拡大
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②グラバー園のエスカレーター(1)→―ダウンロードはご遠慮下さい。(ダウンロード禁止)
→肖像権にはふれていませんが、念のため、ダウンロード禁止でお願いします。
こちらの場面・写真の方はエスカレーターは横に動く場所類であり、下から上に向かった場面・箇所での撮影ではありません。
なお、写真は文字を貼るのみか、大きく縮小、さらに圧縮、その上でこの写真のコピー連続などで故意に解像度を落としています。
こうした場面での撮影や掲載について、肖像権・プライバシー権以外も含めて検討中です。
その回答がでるまではダウンロード禁止にご協力願います。
なお、女性の下着類は一切映っていません。チラっとてでも見えればシャッターは原則きりません。
しかし、相当圧縮・画質劣化をさせてもかなりの大きさに拡大できるための措置です。
解像度はtiffファイルを(縮小・圧縮両方で)1/300~1/1000以下まで落としたJpegファイルとし、さらにjpegファイルコピー連続で画質を劣化させる努力と、その上で文字をはり写真価値をなくす努力もしています。
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③グラバー園のエスカレーター(2)→―ダウンロードはご遠慮下さい。(ダウンロード禁止)
→こちらは人物が大きいので、ピントは故意に人物にあてず柱に合致させ、人物はぼかし(ピンボケと)ています。
※ダウンロード禁止理由は③を参照。
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④グラバー園(1)
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⑤グラバー園(2)―浜田隆政オリジナル技法(撮ったまま)
→このときのオリジナル技法の幾つかもどこかで紹介します。
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⑥グラバー園(4)―(撮ったまま)
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⑦グラバー園(5)(撮ったまま)
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⑧グラバー園からの風景(1)(技法撮影の後でレタッチ)
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⑨グラバー園からの風景(2)(技法撮影の後でレタッチ)
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⑩グラバー園(6)
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⑪グラバー園(7)
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⑫大浦天主堂(1)→到着時間が少し遅い:グラバー園に入る前に写す。
もし、色温度がきっちりつく時間ならば完璧にきめていたのだが。
もし、完璧にきまっていれば、大浦天主堂などの世界遺産への道が早まったかは、私の戯言(たわごと)。冗談です。(*゚∀゚*)
それでも、1994年、1995年の広島訪問(資料館と厳島神社は分けてであるが両方訪問)で同じことを言うと、偶然で厳島神社と原爆ドームが翌年・1996年世界遺産になったときには驚いた。\(◎o◎)/!勿論偶然です!萩も翌年で。その他…ただ奇妙な偶然が多いのが、この世というものでしょう。
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⑬大浦天主堂(2)
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