館林・田中正造記念館への道(2017年)―3:(3回目=6/8 💁15:55正式公開)

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館林・田中正造記念館への道(2017年)―3:(💁3回目=6/8:📣15:55正式公開)


【更新履歴】

2021/05/28 5:24下書掲載

2021/05/28 8:35 正式公開。8:43、微修正。

2021/06/02 19:21 2回目の大型追記。米朝首脳会談実現という重荷をもっての上京であった経緯を掲載(今振り返れば、当時のことが生々しく分かろう)。

2021/06/02 19:36 上記に、米朝首脳会談に向けての私の具体的動きの一部を追加。

2021/06/08 0:38 第3回追加。0:38は写真のみ追加。コメント類は起床後に。

2021/06/08 15:54 第3回コメントを追加し、正式公開。

 


Part-1はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4857

Part-2はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4904


【目次】

★写真はすべて、クリック一度でパソコン画面大、二度クリックで巨大。

田中正造への道-Part 3

【東京3日目・11月28日の行動】


【2017年11月28日の日程】
11月28日午前4時頃就寝か?

午前9時頃起床
午前10:20分頃ホテル発

池袋10:41発:合計金額 1,180円
久喜(埼玉)=11:24着(14分)11:38発

(私鉄等)東武伊勢崎線普通(東武動物公園-館林):420円

12:07着館林駅

13:09:田中正造記念館
14:25:同上発

14:35:食堂
14:50:皇后の小学校六年時の絵撮影

15:10頃:ホテルチェックイン(ニューミヤコホテル館林)
15:30頃ホテルで自転車借り出発

16:10頃:川
(何度も道を間違え)

16:34 雲龍寺着
17:12 同上発

18:20頃道間違えホテル着(大塚)

コンビニに買い物など
翌朝午前2時頃寝たか?(記録なく不明)



この日(2017/11/28)のポイントは三点あった
一点目は、昨夜からこの朝にかけても、全く無意味な催眠独り言で、11月28日の午前4時まで潰されたことである。秋の日は釣瓶(つるべ)落としである。そのため、行動時間が狭められ、結局、佐倉惣五郎関連地などの訪問は不可能とされた。

二点目は、田中正造生誕地の佐野市を館林市と勘違いさせられたことである。当初予定では宿は佐野市としていた。ところが、キャンセルし、ホテルなどを予約し直すときには田中正造生誕地を館林と勘違いをしてしまう。佐野市の方にきていた場合には田中正造生誕地のみか、日光市の足尾銅山に脚を運んでいたかもしれない。最低でも、田中正造生誕地と佐倉惣五郎関係地には足を運んだであろう。佐野でホテルをとった場合には早朝目覚めれば日光にも脚をのばせた可能性が高かった。(11月28日は佐野→日光→東京となっていたかもしれなかった。)
ともかく、翌日の佐野駅と佐野市駅を間違え下車、更に東京でも昔世話になった店を間違える始末であった。人間違い・家間違いが妙に強調された旅であった。

三点目が、天皇家との絡みを強調された謎もある。館林でも、田中正造記念館訪問の後で立ち寄った店に美智子皇后(今の上皇后)の絵画が飾ってあった。翌日の佐野郷土資料館で撮った写真は後で見ると平成天皇が立ち止まって見学された場所と同一であった。更に、翌朝、日光行きの催眠があったが、これを遊びと思われぬ配慮が天皇によりなされていたように思えた。
※尚、日光催眠にはもう一つの意味があったことを後に知った。日光も世界遺産にこの頃立候補していたようである。私はいわば「世界遺産請負人」の如(ごと)くともなっており、それならば世の中は持ちつ持たれつ(It’s helping each other that makes the world go round.)、行っておいてもよかったかと思ったが後の祭りである。その前に、夜の無意味な催眠独り言で徹夜、半徹夜状態のため、不可能に追い込まれてもいた。


取りあえず、池袋から館林への写真を掲載し、その後で館林駅、次に田中正造記念館特集に入る。この記念館の後で美智子皇后の絵と対面となる。

(池袋発)

池袋駅周辺:2017年11月28日10時27分頃。📷№17-078-007

(館林道中)

道中:2017年11月28日12時15分頃:📷№17-078-022

(館林着)

館林着:2017年11月28日12時43分頃:📷№17-078-025

(2021/06/02 19:06記述)日本のフィクサーME・パート5兼用、皇室🆚官邸のみか、米朝首脳会談問題も絡んだ中での田中正造記念館訪問の経緯


ともかく、館林についた。
何度も記すが、今回の東京への旅では、「人間違い」の強調、「官邸🆚皇室の争い」に巻き込まれた気配を感じていた。
この館林への旅自体も、田中正造の生まれを「館林」と「佐野」と間違えてのことであった。

当初予定では、田中正造の生誕地を「佐野」と考え、予約も佐野市でとっていたのが、人権擁護協会・法務局の隣家宛の封筒が我が家へ入っていたことの後始末などで一週ずらし、再度取り直したときには、何故か、田中正造の生まれを館林と擦り込み現象で思わされ、館林へ来た。

田中正造は偉大な人である。それは人間として偉大という意味である。だが、実は、正直に言って、田中正造記念館への訪問も含めた、私の上京の方が世界史的意味は大きかったのである。

先の「官邸🆚皇室…」のみではなく、実はその頃、私は米朝首脳会談に向けての動きを加速させていた。
米朝接近の試みの公開はSNSでは遅くとも2017年8月29日に行っている。ただし、目眩(くら)まし的に意味不明の書き方を敢えてしている。

17-249-3。気が向けば戯言【政治・その他】№51・えっ、トランプ大統領、ハルクホーガン、アンドレジャイアント(プロレスラー)…が。それで選挙戦が安かったのか!それに北朝鮮問題が…。
WWEのスタッフが閣僚、となれば…
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/407/

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/902301937596370944?s=20


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気が向けば一言【政治・その他】№51・えっ、トランプ大統領、ハルクホーガン、アンドレ…が。それで選挙戦が安かったのか!それに北朝鮮問題が…
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/407/
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もう少し詳しくは下記の公式ブログを参照。
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トランプ大統領2017年夏以降―(私のSNS投稿から見た)2017年夏以降のトランプ大統領の動き
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=17723
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この頃は、まだ誰も、米朝首脳会談など想像していなかった頃である。
やがて、私が上京する前後に少し動きが出始めていた。

私が本来上京予定の頃には、一部のマスコミも気がつき始めていた。
当時の模様は2017年11月15日のFacebookに次のように記している。

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(2017/11/15)Twitter 17-221-1。トランプ大統領のツィッター後半部分。
「私は彼(金正恩)の友達となるように相当努力をしている。そして、ある日、そうなるだろう」
文字通り解釈すれば、水面下での交渉があり、一定の話がつく可能性があるということか。

(他の人達の解釈)
トランプ氏ツイートに異変「いつか金正恩氏と友人に」 北沈黙60日、水面下で接触か
夕刊フジ / 2017年11月14日 17時12分

https://news.infoseek.co.jp/article/14fujizak20171114002/

トランプの気まぐれか 「金正恩と友達に」ツイートの真意
日刊ゲンダイDIGITAL / 2017年11月15日 9時26分
https://news.infoseek.co.jp/article/gendainet_426670/

(トランプ大統領のTwitter・全文)

Why would Kim Jong-un insult me by calling me “old,” when I would NEVER call him “short and fat?” Oh well, I try so hard to be his friend – and maybe someday that will happen!

https://twitter.com/realDonaldTru…/status/929511061954297857
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https://www.facebook.com/takamasa.hamada.92/posts/1453023238100757

(ミスター・トランプのTwitterアカウントは凍結中のためクリックしても彼のTwitterは見られない。)



なお、私が上京したときには、我が友ミスター・オバマも外遊中で、北京でオバマ・習近平会談などがあったと思う。
私の(東京での)待遇とは偉い違いだ、等苦笑いをしていた。もっとも、ミスターオバマの外遊と米朝首脳会談は無関係である。
ただし、国際情勢も慌ただしい動きをしていたことを記しただけである。

私が東京から家に戻ったときには三つの出来事があった。
一つが米朝首脳会談に関する動きである。

帰宅した後の12月11日のFacebookに次のように掲載している。

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(2017/12/11)本年初頭、ここ数年は激動と記述。本年は北朝鮮、韓国…で。来年は日本と米国で何かが起こるような予感は杞憂か
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https://www.facebook.com/takamasa.hamada.92/posts/1477027682366979

二つ目は翌12月12日には秋篠宮家に関する、眞子さんの結婚に関する週刊誌報道が開始する。そう、ソウル訪問のときには帰宅後の12月12日に張成沢(チャンソンテク)処刑となっている。例の1212である。私の重要番号1122につぐ、重要番号である。{2018年米韓・北朝鮮の動きは周知の通りである。日本は2018年安倍晋三氏の文書改竄…同年春頃から浮上し、内閣が潰れる寸前になっていく。}

もう一つは、近所で葬儀があったことである。そしてその冠婚葬祭で何故か「アサヒ」が強調された。最後は、読者諸君には余りに些細(ささい)なことであり、特に何もなかったとも言える。上京前には、人権擁護協会・法務局が強調され(駿台辞職直前の1987年11月と相似形で)、帰宅後は「アサヒ」の強調であった。そう、上京前頃に、近所類の車問題を強調され、これに関する無意味な文書書きを強要され、上京準備をさらに支障をきたしていた。この謎もある。

ともかく、上京の際には、国内での「官邸🆚皇室」と、国外での「米朝首脳会談」の機密修得で、国内外のスパイ?類がわんさかであったようである。

こうした状況の中で、田中正造記念館訪問となる。
田中正造の人間的偉大さを除けば、実は、田中正造の足跡以上に、私の足跡は歴史及び世界に影響を与えていた最中のことであった。


そして、翌年は平昌オリンピックを応援し、盛大に盛り上げることとした、内政不干渉であるが、文在寅大統領支持率を何としてもあげる必要があった。それは米朝首脳会談、南北会談実現のために絶対に必要とも思えた。

米朝首脳会談、南北会談で文在寅氏の支持率を上げるのではなく、逆であった。米朝首脳会談、南北会談実現のためには文在寅氏の支持率がかなり要求されていた。
勿論、内政不干渉である。だが、平昌オリンピック応援団を買ってでるのは政治とは無関係である。完璧に合法であり、国際政治上も問題は一切ない。


事実上、今回の原稿は「日本のフィクサーME・パート5」のメモの一部を兼用している。
なお、次回は6月7日か8日頃掲載となる。ただし、巨大写真コーナーでは一部写真を途中で入れ替えるかもしれない。
本当は6月1日掲載予定でいたが、些細(ささい)な荷物問題と催眠類で脚を引っ張られ掲載が一日ずれたことをお詫びします。

(2021/06/02 19:33追記)具体的な動きの模様は下記参照。

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北朝鮮情勢2017年9月以降―(私のSNS投稿から見た)2017年9月以降の北朝鮮情勢と私の動き

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=17715

北朝鮮情勢2017年9月以降―(私のSNS投稿から見た)2017年9月以降の北朝鮮情勢と私の動き

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【館林駅周辺】

館林駅:写真№17-077-015 :2017年11月28日12:35頃撮影

【同駅周辺:狸のお迎え】

館林駅:写真№17-077-013:2017年11月28日12:35頃撮影

駅周辺の写真:写真№17-077-008 :2017年11月28日12:32頃撮影

【上記を通常のレタッチで示せば】

駅周辺の写真:写真№17-077-014 :2017年11月28日12:32頃撮影

【田中正造記念館が見える】(幟が見える所)

田中正造記念館:写真№17-079-002 :2017年11月28日13:09頃撮影

(2021/06/08 0:25追記)写真のみ追加。コメントは15:48追記。

(2021/06/08 15:48文書部分追加)
皇室🆚官邸に絡められ、同時に米朝首脳会談の行方をきにしつつ、田中正造記念館に到着した。時間は2017年11月28日13時10分頃である。

この旅は先の問題のみならず、人間違い・家間違いに絡む各種挑発もあった。ちなみに、フィールドワークで人間違いが強調されだしたのは2014年山口・萩の旅からである。

私がうけた危害の原因が、人間違いを臭わす仕草は2000年初頭からあったが、漠然としており、気にしなかった。2012年4月には故・友人{『日本のフィクサーME』で登場の布袋さんのモデルになった人物}から、一連の危害は「人間違いが原因」との明言があったが真に受けていなかった。ちなみに、その友はそれを言った後で「ボクは糖尿が悪いのでインシュリンの注射」を打つと言っていた。ふと、誰かを想像したが、「まさか…」で取り合わなかった。

その後、人間違いとしか思えないことが続いたため、私のprofileを丁寧に記し、誤解を解こうとすると、もの凄い妨害に遭った。この時は仮想の人間違い該当者ではなく、ただ単に、私のprofile充実を図っただけである。
知人の名をかたる偽者が油を持ってきた事件、次にマッサージ🚺が営業と言って倉敷から来る謎…と続く。

そして、2017年の東京の旅では、最初に書いた、宛名は隣人の名で、住所は我が家宛の人権擁護協会の封筒がいれられていた事件、さらに、佐野市と館林市との間違い、「佐野駅」と「佐野市駅」と、そして昔世話になった店と隣の店との間違い…と続いた。

ところで、人間違いについては危害該当者はそれに気づいているようである。人間違いについて調査を開始するともの凄い妨害が連続してあった。

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T20-004・私の偽者を指摘すると、サイバー攻撃に遭う謎。
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=31746
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💁気がむけば一言【駿台】№216 女性問題でっちあげ、トラブル、更に人間違い被害疑惑(その6)・🤡プロフィール記載等への異常妨害の謎。(正式公開)
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1422/
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さらに、私が「人間違い」を仕組んだと逆の印象操作をされかけた疑惑がある。それは不可能である。昔の固定電話は財産であり、人に引き継ぐにも相続の手続がいる。その相続該当に他人が手をだすことは日本のシステムでは不可能である。

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20-144-2 【☎】光電話でなく #固定電話 権利が大変。 財産権問題で相続だけでも大変。 #登記簿 登録と同一。 電話帳登録ですら他人が電話所収者の氏名・住所表記操作不可能。 昔電話帳でZ家の所に我が家の住所。我が家からは不可能。 Z…良い人だろう?では電話局のミスかと想像し、過去そう言う🤷

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1264026011961659393?s=20
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Twitter 2020年5月23日。その前後のTwitterを読めばさらに問題の本質が分かろう。今回は敢えて掲載しない。理由は🤡は「人が良すぎる」性格のため。そこを逆手に取られ…であった。
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暴力団でも、敵対する組長と思い、「かたぎ」の人を撃てば平身低頭である。撃たれた「かたぎ」の人が悪いなどと居直った例を聞いたことがない。
ともかく、こうした問題を背負いつつ、田中正造記念館に到着する。
ただし、前夜、催眠独り言で寝る時間が遅いことから起床時間もずれ、この後予定している田中正造関連地にいくことを焦った状態での同記念館到着であったことも付け加えておく。

田中正造記念館内の話は次回、次のページに写して写真とともに解説をする。


※無意味な意味不明のメモ。
駿台某美人🚺英語講師のブログに「…司法書士とは…もう話がついている」なる記述があった。

田中正造記念館:2017年11月28日13時10分:📷№17-079-005

田中正造記念館:2017年11月28日13時11分:📷№17-079-007

田中正造記念館:2017年11月28日13時10分:📷№17-079-006

田中正造記念館:2017年11月28日13時13分:📷№17-079-008

田中正造記念館:2017年11月28日14時12分:📷№17-079-077