館林・田中正造記念館への道(2017年)―3(その2):(2回目追加=6/22 17:13:💁正式公開)
【更新履歴】
2021/05/28 5:24下書掲載
2021/06/13 16:25
2021/06/21 1:11 追記1
2021/06/22 1:30 第二回目追記(微修正及び追記をする場合があります。)
2021/06/22 10:32 公開も、本日午後一部修正するかもしれません。そこで完全な正式公開は本日夕方頃になるかもしれません。
2021/06/22 17:13 微修正と追記をして、正式公開。 17:16微修正
2021/06/29 22:46微修正
Part-1はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4857
Part-2はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4904
Part-3(その1)はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4943
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このページは下記赤の部分である。
【目次】
【東京3日目・11月28日の行動】
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【2017年11月28日の日程】
11月28日午前4時頃就寝か?
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午前9時頃起床
午前10:20分頃ホテル発
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池袋10:41発:合計金額 1,180円
久喜(埼玉)=11:24着(14分)11:38発
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(私鉄等)東武伊勢崎線普通(東武動物公園-館林):420円
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12:07着館林駅
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13:09:田中正造記念館
14:25:同上発
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14:35:食堂
14:50:皇后の小学校六年時の絵撮影
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15:10頃:ホテルチェックイン(ニューミヤコホテル館林)
15:30頃ホテルで自転車借り出発
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16:10頃:川
(何度も道を間違え)
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16:34 雲龍寺着
17:12 同上発
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18:20頃道間違えホテル着(大塚)
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コンビニに買い物など
翌朝午前2時頃寝たか?(記録なく不明)
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★写真はすべて、クリック一度でパソコン画面大、二度クリックで巨大。
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(2)田中正造記念館への道・Part3(その2):2021/06/13
2017年11月28日、13時10分頃、田中正造記念館の中に入った。
13:10を別の書き方をすれば「110」である。
私に様々なトラブルが降りかかるときに強調される番号及び暗号類は「4」「110」「13」「14」と「アサヒ」である。
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他方、重要なエポックとなるときの番号は「1122」、次に「1212」である。韓国への旅では12月12日に張 成沢(チャン・ソンテク)が処刑され、今回の2017年の旅では秋篠宮家に絡む問題が発生する。
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《秋篠宮家は御存じか! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母「400万円」借金トラブル》を週刊女性が発売した日が2017年12月12日であった。同時に「4」という文字も登場する。「4」を更に強調するときには「40」、次に「400」である。いくつかの挑発の気配を受けた車でもよく登場する数値である。
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週刊女性 2017年12/26号 (発売日2017年12月12日) の目次
https://www.fujisan.co.jp/product/1133/b/1600847/
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この問題については、どうして、私に絡めた用に思えたのか一切分からなかったし、今でも分からない。
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ただし、ミスター・オバマが退き、ミスター・トランプが登場するや、日本の政治関連で私への対応が真逆となった感じを受けた。
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同時に、2017年春から、皇室に絡めた私への挑発が激化していく。
「愛子さん替え玉説」…「天皇替え玉説」…と。いずれも、私には何のことかサッパリ分からなかった。
その延長での、2017年上京と田中正造記念館訪問であった。
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2017/7/1
四―1
皇室問題・A愛子さん替え玉説と2010年登校問題等
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=13980
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2017/7/7
四―2
伊藤博文が孝明天皇を暗殺し、安重根はその(天皇の)仇を討ったて、本当。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=14119
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2017/7/13
四―3
孝明天皇は病死か暗殺か。明治天皇替え玉説って?そして、歴史とは何か。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=14270
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ところで、田中正造記念館の下記門を撮影した時間がカメラの記録では13:10(Pm 1:10)である。PMと言っても、Prime minister(総理)の略号PMではない。午後のPmである。
【写真】
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官邸🆚皇室と言えば、「朝日新聞」が御厨貴(みくりや たかし)の言動等「信じられない」「改元日はメーデーですよ」…を掲載し、意味ありげに何かを伝えようとしていたので、私ではなく、朝日新聞関係社に聞いてくれとなる。
私は本当に何も知らないのである。
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ともかく、偽者強調、官邸🆚皇室、さらには「米朝首脳会談」の件をかかえて、田中正造記念館に入る。
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田中正造記念館の掲示内容はアトホームであった。
2000年に我が家を訪問した友人にみせたかった。
彼は学校教師をしていたが、斯様(かよう)な展示を好む人物であった。
模造紙、彫刻、絵画、紙芝居型オブジェ、写真活用…と。
ちなみに、2000年訪問者の先生は中国派で、友人は旧ソ連派という噂(うわさ)もあるが定かではない。私は党派中立・宗派中立宣言をしてほぼ40年になる人間である。
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入場のとき、「入場料無料」とあり、逆に入りにくい気もしたが、それらは館運営者の自由である。
なお、現在金欠理由は下記『恐るべき労基法違反』を読めば分かろう。将来、生存中に再度、同記念館及び館林を訪問することがあれば、今度は十分なお礼をして、田中正造の足跡地を車で案内してもらおうかとも思うが、二重の意味でそれはないかもしれない。
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『恐るべき労基法違反・2010年版』(2016年微修正)無料配付ページ(PDF閲覧及びダウンロード可能)
http://www.h-takamasa.com/rensai/custom.html
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二重の意味で「それはないかもしれない」とは次の意味である。
一つは、生存中に、賠償金を含むお金や、営業妨害がやみ、経済の自由を取り戻し、自分で稼ぐことが可能かどうか不明だからである。
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もう一つは、万一金が入っても、田中正造の足跡を追うには徒歩か最低でも自転車が良いと考えているからである。
エアコンのついている車であっちこっちと行っても、肝腎なことは分からないかもしれない。
鑑真和上の原稿{『旅に心を求めて―懐かしきの心を求めての旅(鑑真)』、2013年頃にはほぼ完成しているが諸トラブルで未発売の本}を書くときにも、鑑真和上の苦悩の一部でも知るため、唐招提寺から東大寺へは重い荷物(18リットル石油缶の1.5倍に該当する機材類)を持ち歩いていった。大した距離ではないため、当初は目をつぶっていく計画をしていたが、実行すると危険なため目は開けて歩いた。
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可能ならば後者の状態がくることを願っている。間もなく古稀(こき)であり、腰や脚が痛い今日ではあるが…。
そのときに、田中正造記念館も館林も再撮影をしよう。
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(2)田中正造記念館への道・Part3(その2)・追記2:2021/06/21予定が諸妨害で6/22掲載・
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昨日・2021/06/21掲載予定でいたが、昨日は起床時より、催眠状態となり、夜まで独り言がとまらず、遅延となった。催眠をかけられると、私の力ではどうしようもない。
同時に、記載時間もなくなり、下記のみを掲載する。
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田中正造記念館内の掲示・プレゼンは見ての通りでアトホームな感じを受けた。
かつて教師をしていた、友人S君は、こうした展示物を大歓迎する人であった。
田中正造記念館に入ったときに、S君がこうした展示を見たならば大変喜ぶだろう、とS君のことを思い出した。
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2002年、S君は後藤峯男先生とともに、我が家へ宿泊にきた。
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S君は→何らかの民主主義活動を行っていたようである。
巷の噂では「日本の声」と友好関係の団体ということもきいたことがあるが定かではない。
日本の声は志賀義雄氏、上田卓三氏(前・部落解放同盟委員長)、大賀正行氏(部落解放同盟のブレーンと噂のあった人)などが有名である。
志賀義雄(萩市出身)については、『日本のフィクサーME・パート3』で萩の旅で、(萩市出身)野坂参三氏墓参りの話と共に、「人間の狭間」として少し紹介する。
ただし、S君は「僕たちの…は、(幾つかに分割され、あるいは分裂し)…ただ文献などの研究が中心…」というよなことを言っていた。そして桃山学院大学のKG教授(現在生存しているかどうか不明)などを特に読んでいるというようなことを言っていた。
{※ 今(2021/06/22 17:01)調べると1999年に亡くなられていた。KB教授は関学にも講師として出講されたことがあり、私は一度も授業に出なかったが優をもらった。ちなみに、私とKB教授とは一切面識はない。}
S君は他人の思想・良心には寛容な人間である。私も同様である。
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なお、S君の奥さんが「あなたでしょう、ファックス送ったのは」と怒りの電話をしてきたことがあった。
私は意味不明であった。第一、ファックスなど使用したことがないのであるから。実験で一度姉宛に送付したのみである。余談であるが、携帯電話も同様である。2015年頃に生まれて初めて購入した携帯電話では姉あてに実験で一度使用しただけに等しい(後は我が家の固定電話宛での実験である)。
夜S君から詫びの電話で「家間違い・人間違いをしていた」とのことである。
なおS君の住所は尼崎である。この尼崎が随所で強調される謎がある。私は尼崎は無縁の地なのであるが。
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後藤先生は、中国派とも言える、中国に大変詳しい先生である。
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S君は心情的には部落解放同盟中央本部の見解に詳しいようにも見受けられた。
私は、岡山県で部落解放運動をしていた関係で正常化連(後の全解連)に知り合いが多い。しかし、40年くらい前から党派中立宣言をしている。
だが、党派中立・宗派中立宣言以前の時期でも、一致点があれば誰にたいしても寛容である。さらに友達は性格で選ぶ。S君は人間のできた人物である。
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何故、部落問題(同和問題)について記すかと言えば、私が高校時代に部落研活動をやっていたのみではなく、今回の上京の際に不可思議なことがあったからである。
今回のシリーズの最初に記した如く、「住所」は我が家で、「宛名」は隣人宛の「津山人権擁護協会」の封筒が入っていたからである。そして、その後始末のため、当初の東京行きは全てキャンセルした経緯がある。その後で、再度準備して今回の上京となった。
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館林・田中正造記念館への道(2017年)―1
http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4857
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さらに、駿台予備学校教壇を放逐される前に、某人物が「化学のK先生」(立会人と相談し実名化を検討中)からの贈り物」と言って、意味不明の差別文書を手渡してきたことがある。その文書の中にも「人権擁護局」と「法務局」の印のコピーがあった。この事件が1987年11月頃であり、今回の上京のときには2017年11月である。
そこで、Xグループが絡んでいるならば―そしてXグループが私が想像している範囲内ならば―私の長期の危害、37年くらいに及ぶ危害は全くの人間違いが原因の確率が高いと、思うことが多くなっている。
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さらに、上京準備中に、生協の運搬車と?に絡めた車問題問答で時間ロスを強いられた。この件は謎である。現時点では誰かが仕掛け、誰かがそれに騙され、私に関するデマを言ったと分析をしている。私は全くノータッチであり、「ちんぷんかんぷん」であった。
これに関しては、後に(2018年頃に)警察を名乗る人物が我が家へ来て「松本」を強調していた謎がある。
私には「ちんぷんかんぷん」である。
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ともかく、今回の旅は人間違い・家間違い強調も大きなポイントとなっていた旅であった。
①館林と佐野市の勘違い
②佐野市駅と佐野駅の勘違い下車
③大昔世話になった食堂兼飲み屋を間違え隣(隣の家)に入ったこと
④大阪に戻ってからも、大阪城内にある世界連邦平和像に行きがけ、阪神梅田駅と野田阪神駅か福島駅を間違えて下車したこと。
まだあったと思うが、今、即座に思い出すのが上記である。
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そこで、Xグループがが絡んでいるならば―そしてXグループが私が想像している範囲内ならば―私の長期の危害、37年くらいに及ぶ危害は全くの人間違いが原因の確率が高いと、思うことが多くなっている。
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2021/06/22 16:56追記。【参考】私の主義:党派中立・宗派中立、非暴力、プライバシー権に十分配慮した上で全面ガラス張り主義者、公正・公平主義者。
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田中正造記念館内:2017年11月28日:;№17-079-074□
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