館林・田中正造記念館への道(2017年)―3(その4):(2回目追加=7/26)

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館林・田中正造記念館への道(2017年)―3(その4):(2回目追加=7/26)


【更新履歴】

2021/06/29 2021/07/18 16:22 公開

2021/07/26 17:32


Part-1はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4857

Part-2はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4904

Part-3(その1)はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4943

Part-3(その2)はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=4984

Part-3(その3)はこちら→http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=5015


このページは下記赤の部分である。

【目次】

【東京3日目・11月28日の行動】


【2017年11月28日の日程】
11月28日午前4時頃就寝か?

午前9時頃起床
午前10:20分頃ホテル発

池袋10:41発:合計金額 1,180円
久喜(埼玉)=11:24着(14分)11:38発

(私鉄等)東武伊勢崎線普通(東武動物公園-館林):420円

12:07着館林駅

13:09:田中正造記念館
14:25:同上発

14:35:食堂
14:50:皇后の小学校六年時の絵撮影

15:10頃:ホテルチェックイン(ニューミヤコホテル館林)
15:30頃ホテルで自転車借り出発

16:10頃:川
(何度も道を間違え)

16:34 雲龍寺着
17:12 同上発

18:20頃道間違えホテル着(ニューミヤコホテル館林)

コンビニに買い物など
翌朝午前2時頃寝たか?(記録なく不明)

★写真はすべて、クリック一度でパソコン画面大、二度クリックで巨大。

田中正造への道-Part 3

館林・田中正造記念館への道(2017年)―3(その4):(1回目追加=7/18)

美智子皇后(現在の美智子上皇后)の絵を拝見した後で、急いでホテルに戻り、田中正造の墓の一つである、雲龍寺を🚴(自転車)で目指す。なお、宿泊したホテルはニューミヤコホテル館林 と言うが本日(2021/07/18)調べると、どうも閉館したみたいである。

今回は時間の関係で、雲龍寺の写真のみを掲載する。
次回、上京の話をまとめる。
①人間違い・家間違い強調旅の謎
②皇室🆚官邸の争いに巻き込まれた謎。(その前にそうした争いがあったことが事実か否かすれまダ分からず)
③執拗なフィールドワーク妨害の謎。

④道中、米朝首脳会談の流れに注目していた話。

⑤その他。

また、「ニューミヤコホテル館林」の写真は次回掲載する。

次回で「館林・田中正造記念館への道」を打ちきりとする。

関連内容は、『日本のフィクサーME・パート5』で一部掲載されることになるであろう。その頃には、官邸🆚皇室が本当か嘘かも分かるかもしれない。

なお、帰宅してからしばらくして、近所で葬儀があり、そして12月12日に秋篠宮家に関する件が週刊誌をにぎあわせ、やがて婚約延期となる。『日本のフィクサーME・パート2』掲載予定の訪韓でも、12月12日(帰国翌日)にチャンソンテク処刑…となる。この1212である。

 

①館林駅付近からレンタサイクルをして、雲龍寺を目指す(日が暮れかけ急ぐ)→写真はいずれもクリック一度でパソコン画面大、二度クリックで巨大。

雲龍寺を目指す①:2017年11月28日16時3分:📷№17-081-004

雲龍寺を目指す①:2017年11月28日16時20分:📷№17-081-013

(渡良瀬川の標識)

雲龍寺を目指す③(渡良瀬川の標識が見える):2017年11月28日16時12分:写真№17-081-015

(雲龍寺の標識)

雲龍寺を目指す④(雲龍寺の標識が見える。ここから道が分からず参る):2017年11月28日16時13分:写真№17-081-016

(雲龍寺到着直後の写真)

雲龍寺を目指す④(雲龍寺着最初の写真):2017年11月28日16時34分:写真№17-081-021

②雲龍寺(田中正造の墓を写す)→本当はどれが田中正造の墓か分からず、写しまくっていた後で、後に運良く写っていたと喜ぶ。暗いので分からず。

田中正造の墓①:2017年11月28日16時36分:📷№17-081-027

田中正造の墓①(再レタッチ版):2017年11月28日16時36分:写真No.17-081-027

③雲龍寺その他の写真。

雲龍寺②:2017年11月28日16時39分:写真No.17-081-034

雲龍寺③:2017年11月28日16時39分:写真No.17-081-033

雲龍寺③:2017年11月28日16時42分:写真No.17-081-046

雲龍寺④:2017年11月28日16時43分:写真No.17-081-046

雲龍寺⑤(レタッチをしなかった場合):2017年11月28日16時45分:写真No.17-081-060

雲龍寺⑥:2017年11月28日17時05分:写真No.17-081-089




(2回目追加=7/26)

④運龍寺を後にする。(ここ以降は2021/07/26):文書は下の方

→今回は雲龍寺の続きと館林の夜の街など。そして総集文。

(2021/07/26 17:21記述)今回の旅・田中正造への道は三つの形で妨害された。
①人間違いに絡めた策動。
②天皇🆚👺に絡めた策動。
(日本のフィクサーMEの布袋さんは👺は官邸と言うが定かではない)
③フィールドワークを妨害するための半徹夜催眠独り言である。
★③②①逆の順番で掲載。


③については、これにより寝る時間を遅くされるため、起床時間が遅くなり、冬のため即夜がふけ、まともな行動は阻止された。そこで、この旅が本格的フィールドワークの最後となる。
2019年と2020年は🚴で我が家の近くのみとなり、2021年は腰と脚をやられて(長期の座骨神経痛症状で)近くのフィールドワークすら厳しい状況となっている。


②天皇🆚👺に絡めた策動については、未だに、意味が分からない。第一、官邸と皇室の争いがあったのかどうかも未だに不明である。
しかし、帰宅後の(2017年)12月12日に秋篠宮家の娘さんの婚約者の件が世間を賑(にぎ)わす。やがて、婚約延期となる。
12月12日とは、私の重要番号1122に次ぐ重要番号1212であり、2013年の訪韓に際しては、張成沢(チャン・ソンテク)が処刑された日である。

秋篠宮氏と私は直接の関係はないと思うのであるが、私が早大大学院時代の授業の一つを担当されていた飯坂良明先生(いいざか よしあき、1926年3月30日 – 2003年10月3日:学習院大学名誉教授、聖学院大学学長、世界宗教者平和会議日本委員会評議員などを歴任)が学習院大学法学部学部長であり、学習院で皇太子(現・天皇)の指導教授になるとよく言われていた。もっとも、皇太子(現・天皇)は突如、文学部に進学された。
秋篠宮氏は学習院大学法学部政治学科のためゼミ指導教授であったかもしれないし・そうではなかったかもしれない。というのも、その頃は私はもう早大大学院は修了していたからである。
なお、当時の大学院の授業は事実上のゼミと同じ人数で行っていた。

天皇🆚👺の話は、更に年数が経(た)たなければかけないというよりも、私自身も未(いま)だよく分からないのである。生存中に分かる日が来るかもしれないし・来ないかもしれない。
なお、翌日行った栃木県佐野市でも、佐野資料館で私が見学した位置と同一場所で見学されている天皇(現・上皇)の写真があった。


①人間違いに絡めた策動。
これについても、この後も人間違い・家間違い・勘違い…が佐野市、鬼子母神、雑司が谷と相次いで起こる。
だが、この頃は駿台の件は思い出していなかった。帰宅してから、Z家がしきりに私の駿台講師時代を連想させる演技をするため、徐々に駿台講師時代を思い出し始めた。
さらには、2019年から偽者及び詐欺関連の挑発が膨大に増えたため、別の角度から駿台講師時代を回想し始めた。
一連の、40年近い人権蹂躙(じんけんじゅうりん)被害は駿台講師時代に起因すると思わされたため、やむを得ず回想することになった。

しかし、私は駿台予備学校に未だに賠償請求はしていない。
駿台に復職する意思もない。
駿台の職員🚺と付き合う気もない。
何のために駿台講師時代を書かなければならないのかサッパリ分からない。
【駿台事件の概要】

駿台事件:駿台女性まとめ


しかし、2019年4月に世界のリーダーの何人もが、再度、振り返った方が良いというシグナルを送ってきた。また、家間違いの指摘も随所で示唆されだした。
さらに、2019年4月は西山ファームでのカード詐欺事件が起こる。私も同年同月にカード詐欺被害に出遭う。
【西山ファーム事件】
https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1406934797662916613?s=20

世界のリーダーが言うならば、それでは面倒でも駿台講師時代を振り返ろうかとなった次第である。
ただし、駿台事件、特に1984年以降言語に絶する被害を受け続けていることは事実である。しかし、原因は40年近く経(た)ってもさっぱり分からない。「ちんぷんかんぷん」状態にある。
なお、上京直前に「人権擁護協会」「法務局」封筒で我が家住所番地で宛名がZ家の住人となっていた被害と何か関係があるように思わされているが、私には「ちんぷんかんぷん」で何も分からない。生存中に分かるのであろうか。

今回の、写真物語ブログの後でも、再度駿台講師時代を振り返る予定でいる。
下記参照。(とは言っても現在下書中。7月末までには清書予定でいる。)
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4④・駿台🚺、更に謎の差別文書の謎―④(=その4・大阪校時代と同和問題登場の謎)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=26261

40年近い被害連続、全く心当たりなし。「犯行声明を出せ」と言っても相手は未だにださず。亡き友人は「人間違い…が原因」、と。
また、「Z家が我が家住所番地を50年も使うのか」、誰に聞いても教えてくれず。双方困ろうに。少なくとも、私は被害だらけ…。

雲龍寺・田中正造墓の解説

雲龍寺を目指す(ストロボ使用):2017年11月28日16時57分:写真№17-082-009

雲龍寺・最後の写真

雲龍寺/最後の写真(ストロボ未使用):2017年11月28日17時10分:写真№17-081-113

館林・田中正造記念館への道(2017年)―3(その4):

🚴(自転車)でホテルに戻る途中

雲龍寺からの帰路:真っ黒(ストロボを使っても無駄も取りあえず):2017年11月28日17時21分:写真№17-081-121

「ニューミヤコホテル館林」にて

「ニューミヤコホテル館林」にて(浜田隆政オリジナル撮影技法・撮ったまま):2017年11月28日18時45分:写真№17-081-125

「ニューミヤコホテル館林」にて(絵風に加工):2017年11月28日18時48分:写真№17-081-128

翌日、館林を後にする。田中正造足跡を佐野市に求める

館林・最後の写真(館林駅前)

館林駅前(館林最後の写真):2017年11月29日10時13分:写真№17-084-001

 

田中正造への道は今回で終了(関連は、後日、『日本のフィクサーME・パート5』でまとめる予定。その頃には皇室🆚👺も分かるかもしれない。)

 

 

2021年7月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA