(見出し)最初の電子書籍野麦関連本出版は2015年1月30日発売…。この本の表紙が野麦峠の写真である。野麦峠再訪は私の運命を相当かけていた。ところが2014年に訪問予定地で熊がでて、2015年にずれこむ。そして松本に宿をとり…
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(序)旅に心を求めて№6-1:1989年野麦の旅の概要→2017年5月25日掲載
◎野麦再訪
(1)旅に心を求めて№6-2・松本まで[2015/5/22等]→このページ(2017年12月9日掲載)
(2)旅に心を求めて№6-3・松代大本営跡[2015/5/23]→2017年12月16日掲載
(3)旅に心を求めて№6-4・善光寺[2015/5/23]
(4)旅に心を求めて№6-5・野麦峠祭り―1・登山[2015/5/24]→2017年5月26日掲載。
(5)旅に心を求めて№6-6・野麦峠祭り―2・祭り模様[2015/5/24]→2017年5月26日掲載。
(6)旅に心を求めて№6-7・黒部ダム[2015/5/25]
(7)旅に心を求めて№6-8・立山[2015/5/25]
(8)旅に心を求めて№6-9・富山[2015/5/25]
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長野:松本:撮影日2015年5月22日等:旅に心を求めて№6-2・中津川~松本まで→2017年12月9日掲載
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(2017年12月9日記述)
野麦峠再訪は、私の再復帰の鍵を握る旅といっても過言ではなかった。
2014年は電子書籍での起業を目指していた。
最初の出版本は2014年末か2015年初頭発売予定でいた。
最終的には2015年1月30日発売となる。
それにあわせ、HP体制も構築していった。
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この最初の出版本は『旅に心を求めて―不条理編(上)』(Kindle、Kobo各百円で発売中)であった。この本は野麦峠(工女の物語)と広島原爆をテーマとしたものである。
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この最初の本に、私の運命を相当かけていた。そして、この本の表紙が野麦峠の写真である。
野麦峠の「ミネと辰二郎の像」の写真は1989年にコンパクトカメラで撮ったものしかなかったため、死活問題として野麦峠に2014年に行く必要があった。
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そして、2014年夏か秋には必ず訪問予定でいた。
尚、金欠のため、可能な限り安価に松本に行き、松本からは市営バスで川浦というバス停留所におり、そこから一キロ余り歩く予定でいた。
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ところが、行く直前に、この川浦というバス停付近で熊がでたというニュースが全国的に報道された。
熊は怖いし、それ以上に迷惑を人にかけてはいけない。何かあった場合での、私の捜索隊派遣などを避けなければならない。
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そこで、松本市役所や奈川観光協会などに問合せをした。
「2014年秋に行ってもかまわないか、安全を期して、人に迷惑をかけないように翌年の野麦祭りにした方がよいか」と問合せをした。
その結果、松本市役所の方で、「野麦峠祭りに行けるならば、人が大勢のときの方を勧める」とアドバイスがあった。
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本の出版までには間に合わないが、人に迷惑をかけることを恐れ、2015年5月24日(日曜日)の野麦峠祭りに行くことにした。
そして1989年の旅を追ってのフィールドワークをすることを決定した。
本の表紙は取りあえず、古い写真で作成し、後に入れ替えるしかないと判断した。
こうして、問合せ各地にその趣旨の連絡をした。
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満を持して、2015年5月22日に我が家を出発することになる。
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出発前→野麦準備以外に、Twitter、Google+、Facebook、公式HP、公式Blog、安らぎ文庫HP、安らぎ文庫Blog、総合案内所HPなどへの書込のため、それらが終了したのが午前4時を回っていた。5時前頃と思う。それから風呂に入り、最後の準備をすると午前6時を過ぎる。
我が家発が午前7時半の予定のため、もう寝るのをやめて、徹夜で出発することにした。
しかも、単なる徹夜ではなく、相当神経を遣う作業をしての徹夜である。
ともかく、この日の日程は以下の通りとなった。
①我が家発午前7時半、バス停まで歩く(10分)→バス発(8時51分頃)、駅着8時2分、駅から高速バス停まで歩く(25分)=器財+リュック+カメラベスト類=合計15キロ余りを持って。
②高速バス停発・8時50分過ぎ、大阪着12時頃。
③大阪でヨドバシカメラへ行ったり、知人に会ったり、JRで黒部アルペンルート切符購入したりする。(徒歩60分)
④大阪発15:15→名古屋着16:21:16:24発~中津川時着17:39:18:33時発~松本駅着19:45(若干遅れあり)か。(徒歩20分)
⑤ホテル着20:20頃
⑥松本城着20:55~21:22頃。
⑦ホテル着23:00頃。(⑥以外に松本市街散策含めて徒歩70分)
★徒歩合計185分。(大半重い荷物を持って)
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①中津川駅にて―1
※写真クリックで、PC大、二度クリックで巨大化。(掲載写真全部同様)
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②中津川駅にて―2
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③中津川駅にて―3
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④中津川駅にて―4
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⑤松本駅着
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⑥松本城(22時頃、三脚もなく、撮影は不可能)
いちかぱちかで、椅子にカメラを載せ、上からカメラを押さえつけ、セルフタイマーで撮影。
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⑦松本城。今度は、ストロボも使用し、私の得意オリジナル技法、光の玉だし撮影。
レタッチ加工ではなく、撮影ときに、ストロボ・多重露出その他の組み合わせで撮影
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⑧松本城。(⑥と同様の撮り方)
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⑨ホテルの帰路撮影
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⑩ホテル池田屋さん提供の部屋から撮影―1
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⑪同上―2
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⑫同上―3
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⑬同上―4
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⑭同上―5
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⑮松本市の蛙の像。
―母校の一つ関学にも蛙の像があり、「松本の蛙は本を読んでいた…」と書くと…。
(参照)気が向けば戯言【徒然】関学学長宛への手紙―母校・関西学院大学の蛙の像に想う
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⑯夕日の松本駅
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⑰この像の如く、私も急がねば。(松本市の歩行者専用道路にて)
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⑱最後に、松本は情緒豊かな、芸術の街であった。
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松本ツーリストホテルにもお世話になりました。下記に御礼を掲載しています。
尚、その他のホテルで一部誤解・勘違い類があったかもしれませんが、万一将来、私にふさわしい資金が入れば松本再訪となり、そのときに双方の誤解類は解けるでしょう。
ただし、現況では再訪資金類は全くありません。
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