香川:高松~神戸:撮影日2015年12月7日撮影:旅に心を求めて№9-2・宇野港から高松への瀬戸の海

このエントリーをはてなブックマークに追加

《見出し》 我が家から、宇野港(岡山県)、宇野港から四国フェリーで高松港道中。途中、島の工場や、瀬戸大橋が見える。ただ、残念ながら、この航路では海は銀色に光らなかった。ただし、次回掲載する、高松から神戸港への海は銀色、金色、オレンジ色と色を変え光った。次回は、青い海、銀色の海、金色の海、オレンジの海、赤い海、そして夜の海へと続く…

香川:高松~神戸:撮影日2015年12月7日撮影:旅に心を求めて№9-2・宇野港から高松への瀬戸の海

更新 2018/06/16 14:01 (旅が2016年12月7日となっていた→2015年12月7日に修正)。その他微修正。

更新 2018/06/16 14:10 (当初のフィールドワーク計画案などの日程を記述)

更新 2018/10/18 0:05 (下記リンク)

 


【構成】
(序)この旅のダイジェスト
(1)瀬戸の海―1・宇野港~高松への瀬戸の海
(2)瀬戸の海―2・高松から神戸迄の瀬戸の海
(3)神戸ルミナリエ―鎮魂の灯火(ともしび)撮影 連続掲載は中止し、かなり後日、掲載に変更
(4)平和の女神(尼崎・世界連邦平和像)と世界連邦平和像(大阪城内、北村西望作) 連続掲載は中止し、かなり後日、掲載に変更
(5)適塾にて。 連続掲載は中止し、かなり後日、掲載に変更


【リンク】(クリックで該当箇所)
(序)この旅のダイジェスト
(1)瀬戸の海―1・宇野港~高松への瀬戸の海= {赤がこのページ}
(2)瀬戸の海―2・高松から神戸迄の瀬戸の海(空の十二変化)→(その1)=クリック

  (その2)・小豆島にて

★以降は、時期をかえて別の日に掲載。

神戸ルミナリエ―鎮魂の灯火(ともしび)撮影
平和の女神(尼崎・世界連邦平和像)と世界連邦平和像(大阪城内、北村西望作)→その(1)尼崎、その(2)大阪
適塾にて。

 


(1)宇野港~高松への瀬戸の海


この日は見事な快晴であった。朝、家を出たときには濃霧のため、何も見えなかった。今回は、フィールドワークの原点回帰のため、質素・倹約志向を方針としていた。そこで食事は我が家でホットケーキを焼いたのを持参し、飲物は数日前にお寺で頂いたお茶を持参した。

 (今回追記)我が家からバス停留所までの濃霧の写真も撮影している。しかし、我が家界隈の写真は近所のプライバシー権確保のため、場所が分かる危険のあるものは、原則として掲載しない(というよりも掲載できない。この写真ではないが我が家界隈を何のために撮ったか・撮らされたかとなる)。


2010年末の旅も、我が家~高松~神戸ルミナリエ・南京町であった。2010年の旅は当時構想を抱いていた『日本のフィクサーME』の原稿上、必要不可欠な旅であった。詳細は『日本のフィクサーME・上巻』(Kindle版、2015年12月10日発売)の第3章第1節を記すために絶対不可欠な旅であった。また、同箇所以外でも、居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)のイメージをつくるためにも欠かせない旅であった。

今回は、この箇所を受けて、『日本のフィクサーME』パート2かパート3で記す原稿の材料を求めての旅であった。同時に、前者をいずれペーバーの本でもだすときなどに大量に使用する写真補強の旅であった。

以下、写真は一度クリックでパソコン大、二度クリックで巨大

宇野港

15-046-030 12_07 120914

15-047-008 12_07 115910

15-047-020 12_07 120554

 


観光旅行は一番大変なのが現地、次が行く前であり、帰れば終わりである。フィールドワークは現地での時間よりも準備の時間が大変である。シンガポールの旅(1989年)では英語でシンガポールの社会科教科書を数度読んだり、シンガポール関連の資料も読んだりと、用意周到の準備をした。

だが、それよりも大変なのが帰ってからである。写真処理も大変、同時に、旅を忘却しないため、膨大なメモを残さねばならない。今回と大阪第二弾の旅でも後始末が終わるのは来年三月末となるであろう。

15-046-034 12_07 120936

15-046-056 12_07 122408

 

瀬戸大橋

15-047-034 12_07 122059

 

15-046-064 12_07 123024

 

 

……
この日の瀬戸の海は晴天にも拘(かか)わらず、いつもほど光らなかった。いつもは瀬戸の海は銀色に光る。一部は光っていたが、思うほど光らなかった。時間のせいであろうか。

15-047-065 12_07 124222

15-046-076 12_07 124159

それと海鳥がいつもより少ない。海鳥はこのところ、海でほとんど見かけなくなっていた。昔はもの凄(すご)い数いたのであるが。

15-046-091 12_07 124547

15-047-072 12_07 124616

 

 

 

 

 


こうしたことを考えながらも、カメラ二台で写真を撮りまくっていた。

船の上の65分はあっという間に過ぎた。なお、乗客は一時ほどではないが、少ない。何故(なぜ)なのだろうか。車抜きでも、遊覧船と思えば、相当安価である。片道690円(往復割引で1320円)である。片道でも65分も海を見ることができる。遊覧船で65分690円などあり得ない。

しかも、幸か不幸か、かなりすいている。よって、飛行機の如(ごと)くエコノミー症候群になることもない。実際、子供が船の甲板を走り回っていた。運動場とまでは言わぬが、ミニ公園並みである。しかも、昔は、海鳥が飛び交っていた。遊覧船と考えれば安い娯楽でもある。家族全員で弁当を持参して、好きな場所に座って、海を見ながら過ごせば娯楽と思うのであるが。会話も隣の人に気遣いする必要もない。

15-047-053 12_07 123652

 


かようなことを考えていると、あっという間に高松港となった。

15-047-081 12_07 124906

15-046-094 12_07 125203

 

 

15-046-116 12_07 130700

 

 

 

 

 

下船すると、今度は、城型のトイレ、更にミニチュアの城のような物が見えた。

15-046-117 12_07 130706

 

 

ただし、高松駅までは少し歩かねばならない。方向音痴の私は、どちらが高松駅か分からず、どうしたものかと考えていたら、スマホを持っている人をみかけた。すっかり忘れていた。

15-046-119 12_07 130829


私は電子書籍の関係で昨年末スマホを買っていた。そこで、スマホで地図をだすと、案の定高松駅とは逆方向に歩いていることに気づいた。危なかった。何故、スマホの存在を忘れたのか。私はスマホで、まだ一度も電話をかけたことがない。受信もしたことがない。誰にも番号を教えていないのだから。勿論(もちろん)、私も私の携帯番号は知らない。ちなみに、メールも送信も受信もしたことがない。あくまで電子書籍を発売するときに、レイアウト確認をするための、商売道具でしかない。ただ、スマホの地図には過去何度か助けられた。

では、道中で電話はどうするか。公衆電話である。姉などからもらったテレホンカードがかなりあり、無料である。また我が家では固定電話はあるが、使用料は年平均で月百円を超える月は年1度くらいなものである。着信は、大抵、悪戯(いたずら)電話であり、まともなのは数か月に一本程度である。ただし、E-Mailはパソコンで山ほどしている。ビジネス上仕方がない。あの量はスマホなどではこなせない。

15-047-099 12_07 134306



高松。


高松の街はモダンである。本年(2015年)、11月は「出雲街道を行く」を予定していたが、それが無理となり、フィールドワークは11月はしないと考えた。だが、寝ている間に甘言(かんげん)で誕生日月だから行けにより、「では高松か鳥取の海に行く」としていた。そこで、私の亡き親族に思いをはせる、と。ところが前回の如く、11月《23日=尼崎泊》は何故か大阪行きとなった(後で家で怒りまくった)。本当は前回(2015年11月23日)は高松だったのである。しかも、香川県でも満濃池の近くで、光のイルミネーションがある。
大阪は良い街であるが、X日とZ日に大阪方面フィールドワークを組んでいたため、前回行く必要性がなかった。X日とは今回の旅である《12月7日~8日》。9月上旬には宿も予約していた。Z日《12月22日~23日=適塾・大阪光の饗宴・手塚治虫記念館:2018年6月16日記述・公開》は妨害があるため伏せるが予約を10月中旬にしている。

15-047-088 12_07 132126

高松駅でジャンボフェリー乗り場を確認した後で、駅前の建物を撮影する。

海と調和したモダンな建物である。高松の海は鳥取と異なりハイカラである。そこで、高松駅周辺のハイカラな建物やオブジェは、高松界隈(かいわい)の海を中心とした自然と調和した雰囲気を醸(かも)し出していた。

 

 

 

ジャンボフェリー乗り場行きのバス(高松は無料)

15-046-139 12_07 135827

 

 

 

 


《参考》

(2)・日程
2015年12月7日
午前8時半発→宇野駅11:46着(1050円+580円)
正午発→四国汽船で高松へ:高松着13時時5分。(690円か)
13:05分~14:00迄高松駅周辺散策、14:00~14:20ジャンボフェリー乗り場(shuttle busで無料)
14:30発:ジャンボフェリー発時間:神戸へ(1990円)
19:15着(強風のせいか遅れが出る):元町へ移動
19:50(元町)~神戸ルミナリエ:(無料、但し寄付を百円した)21:33会場から歩いて三宮へ~22時頃阪急三宮
22:10頃(三宮)~22:55頃宝塚ホテルチェックイン
午前1時過ぎ就寝


12月8日
午前7時半頃起床:朝食。グロッキーで宝塚ホテルで安静
10:59 宝塚南口~今津(阪急:180円?):(阪神190円)~尼崎へ移動
11:42阪神尼崎で世界連邦平和像(女神の像)撮影。12:23頃撮影終了
12:40頃尼崎発~(阪神:240円)~梅田~(地下鉄)谷町四丁目下車。大阪城着13:20頃
13:30頃から世界連邦平和像(北村西望作撮影):14:05頃終了
14:05~(徒歩)谷町4丁目~(地下鉄)~淀屋橋
14:55頃から適塾撮影(陰で色温度がつくことと帰りの汽車の時間(15:15発)の関係で15時で打ち切り。
15:00から大阪駅を徒歩で目指す。15:15に間に合わないため、16時の高速バスに切り替える。
我が家へのさらなる乗り継ぎを考えるとこれが完全最終であった。ところが予定外に知人に会う羽目なり、やはこしくなる。スケジュールの関係でこの日は会う予定は全くなかった。その後大阪駅へ


17:00頃発汽車から最寄りの駅へ21時過ぎ着。(交通費2900円?)
乗り継ぎ最終バスはもはやなく、徒歩で重いカメラ機材をもち、重いリュックを背負い、約6キロを歩く。

約1時間10分後に我が家着。その後……トラブルが?これで帰宅後にすぐ行うFieldの簡易紹介、HPの更新作業、写真のPCへのロード作業などが不可能となった。


(3)・関連資料【費用】
交通費→上記の通り
宿代=11200円―5000円(宝塚ふるさと割助成)―楽天社ポイント3700円=2500円朝食込みダブル。(正確な数値に訂正:2018/06/14)
食事代=12月7日朝=0円、昼=さぬきうどん(450円)、夜コンビニで飲み物と夕食(約500円=A)。予定外の缶ビールとつまみ類約500円。税含めて約1090円支払い。
12月8日朝0円(ホテルの朝食)、昼(抜き)、夜(吉野やの牛丼380円)、駅前の店でソフトドリンク93円。
(道中の飲み物は行きはお寺でもらったお茶のみ、帰りは上記の93円のみ。後は上記コンビニで購入=Aのみ)
※前回の公約通りに、質素とし、全6食合計+飲み物合計約2千円。帰宅翌日の朝昼が事実上なしのため、8食と飲み物合計2千円とした。


 

2018年6月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA