尾道:2014/8/6:旅に心を求めて№2-2:お~い。あれが宿禰島(すくね)だ―(2)裸の島から瀬戸田
お~い。あれが宿禰島(すくね)だ―(2)裸の島から瀬戸田-2
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瀬戸田についた。
曇っていた。途中から雨も降ってきた。
瀬戸田は約二十年ぶりである。
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勘違いかもしれないが、瀬戸田の街は、私を歓迎してくれているように思えた。
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(写真10)
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(写真11)
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(写真12)
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平山郁夫美術館に着く。
1996年に瀬戸田に来たときは、確か、工事中であった。
(写真13)
●瀬戸田にある平山郁夫美術館。
平山郁夫画伯の思い出については、
公式Blog「夢か現か―3。TVでの対話―3・「平山画伯の思い出と『お~い、あれが宿禰(すくね)島だ』を作品化決定」を参照いただきたい。
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(写真14)脚を長くみせる技法(勿論、ジョークです。)
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(写真15)館内に入る。→屋内での帽子着用はエチケットに反するか否かは、いつか、徒然なるままにで論じる予定でいる。イドラか否かも。
ちなみに、私が1964年頃から熱狂していたザ・スパイダーズ(マチャアキや井上順ちゃん)などは、髪を長くしていたため紅白歌合戦には出場できなかった。
当時の道徳は、男性の長髪は青少年への教育上良くないであり、NHKがその模範となっていた。
タイガース、ジャガーズなども全員アウトであった。当然、ビートルズが紅白に出ると言っても当時は門前払いであった。
これが、私が言う、「道徳は歴史的な産物であり、変化するものである」、という意味である。
そこで、平山郁夫美術館では、どう対処するかと思い、館内に入る前に帽子着用が可能かどうかを尋ねてみた。結果は、写真の下に記述。
――館内で帽子(髪の毛がうすいのでカツラを兼用の帽子)をかぶったままで良いかと尋ねたならば、「どうぞ、おかぶりのままで」であった。館内の帽子問題はどこかで論ずる。
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耕三寺
●1996年に行った耕三寺が、平山郁夫美術館のすぐそばにあるため、立ち寄る。
ただし、時間の関係で中には入れなかった。門の前には見事な蓮がいくつもあった。
なお、1996年には、平山郁夫美術館は建設中であった。
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(写真16)
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(写真17)
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(写真18)
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(写真19)
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天気が悪いとはいえ、思い切りのない撮影をしたものである。
1996年のときは駆け出しにも拘わらず、思い切りはもっとよかった。
次のページに、「思い出の耕三寺・1996年」を掲載する。
※2017年2月末前後に掲載予定でいる。
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(写真20)帰りの船の中で。
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【2015年4月25日追記】
……なお、最近Twitterなどに記しているように、私は写真展はしていない。
写真物語展である。写真抜きでも物語が残る。
だが、思いがこもった写真があった方が良いので掲載しているだけである。
たとえば、〝和の間(ま)〟{2017年後半からは「原爆広島」に改訂予定}のテーマは原爆である。
原爆を中心に、コリアンと日本の問題も取り上げた。
平山郁夫画伯は広島で被爆をされている。{平山郁夫『道遥か』、日本経済新聞社、1991年参照。}
また、平山画伯は原爆の絵を何枚も描かれている。
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新藤兼人氏には「原爆の子」という映画がある。
ウィキペディアに以下の紹介文章が記載されていた。
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「1952年(昭和27年)8月6日公開の日本映画である。近代映画協会製作、北星配給。監督は新藤兼人、主演は乙羽信子。モノクロ、スタンダード、97分。
長田新が編纂した作文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店刊)を基に、新藤兼人が監督した作品で、戦後初めて原爆を直接取り上げた映画とされている」……
写真展ではなく、物語展であり、それを豊かにするために写真物語展に発展しただけである。
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思い出の耕三寺。(1996年8月15日撮影)
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父が撮った耕三寺の写真を見て、1996年8月15日(父の命日)に、耕三寺(西日光)を訪れる。
そのときに撮った写真。写真はフィルムであるが、フィルムスキャナーでデジタル化をしたものである。
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● この頃は、写真を本格的に開始して二年目にもかかわらず、思い切りが良かった。
同時に、どこに行くにも原則として三脚を持参していた。そして、そのための体づくりをきっちりと行っていた。
再度、原点に戻らなければならない。
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●関連資料
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(資料―1)新藤兼人監督「裸の島」ロケ地「宿禰島」、三原市に寄贈 広島
産経ニュース 2015.4.23 07:06更新
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宿禰島、三原市に寄贈
http://www.sankei.com/region/news/150423/rgn1504230066-n1.html
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(資料―2)宿禰島を三原市に譲渡 「裸の島」のロケ地 広島
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【タイトル】宿禰島を三原市に譲渡 「裸の島」のロケ地 広島
□https://youtu.be/BTs0W_qUreM
【YouTube記載事項】2015/04/23 に公開
故新藤兼人監督の代表作「裸の島」のロケ地となった広島県三原市沖の無人島・宿禰(すくね)島の頂上で4月22日、「新藤兼人監督と映画『裸の島』を愛する会」から三原市に島の所有権を寄贈する記念式典があった
【記事はこちら】http://www.asahi.com/articles/ASH4Q36…
※朝日新聞社の動画の改ざんや、許可なく商用・営利目的で利用することを禁じます。
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(資料―3)ベニチオ・デル・トロ×新藤兼人監督対談 冒頭2分間
【タイトル】ベニチオ・デル・トロ×新藤兼人監督対談 冒頭2分間
【リンク】https://www.youtube.com/watch?v=yrjgs7Kzjhs
【YouTube記載事項】2011/07/28 にアップロード
「ベニチオ・デル・トロが新藤兼人監督に『映画』の話を聞いた」/日本映画専門チャンネルにて8月5日(月)13時より放送※再放送あり
公式サイト:http://www.nihon-eiga.com/
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(資料―4)「最後の作品」に取り組む98歳 映画監督の新藤兼人さん
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【タイトル】「最後の作品」に取り組む98歳 映画監督の新藤兼人さん
【リンク】https://www.youtube.com/watch?v=WgTch5FvzWY
【YouTube記載事項】2012/05/28 に公開
2010年4月で98歳になった映画監督の新藤兼人さん。その直後から自ら「最後の作品」と位置付ける映画の撮影に取り組んでいる。
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【追記】
瀬戸田{広島県尾道市(生口島)}で、面白い写真を撮ったのであるが、観光と無関係な個人の家のため、家の所有者に遠慮して掲載していない。(今回=2017/02/24ごく一部掲載。)
野麦祭りも、工女の服装をした子供を多数撮ったのであるが、肖像権に配慮して掲載していない。
今、考えれば工女の服装をしていた以上、私のホームページで公開しても良かったかもしれない。
問題がないと分かれば、再度、野麦祭りは工女の服装をした子供の写真も含めて掲載し直す予定でいる。
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なお、宿禰島(すくねじま)の写真が今一つのため、再撮影に行きたいと考えている。
撮影後に、作品化の順番を待ち、作品として電子書籍か書籍にする予定でいる。
(2016年1月18日)
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【2017年2月24日追記】宿禰島(すくねじま)を公開しているかどうか、三原市に問い合わせた。その回答は以下に掲載している。
総合案内所・御礼ブログ
16-01・三原市教育委員会文化課様:お忙しい中、宿禰島の件で御返答ありがとうございました。
□該当箇所御礼ブログ目次
(2017/02/25記述)
瀬戸田に関連する、1996年撮影の「思い出の耕三寺」(約16~17枚)公開は、予定以上に準備がかかっているため、もう数日後となります。
「思い出の耕三寺」はカメラ開始2年目頃のため、御笑納ください。
次ページから、「思い出の耕三寺」(瀬戸田)、「耕三寺の救世観音像」(瀬戸田)と続く。掲載予定は2017年2月末前後である。