(見出し)松代大本営跡→ここに政府中枢を移転し、戦争継続予定でいた。この跡地に行ったのは1989年6月であった。当時は整備されておらず、途中の写真にあるように岩だらけであった。中は真っ暗で、こうもりが飛んでいた。ここでつまづき、後に足の親指の爪が剥(はが)がれた。2015年訪問では綺麗に整備されていた。見物人もいた。1989年は受付もなく、見物人もゼロ人であった。
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(序)旅に心を求めて№6-1:1989年野麦の旅の概要→2017年5月25日掲載
◎野麦再訪
(1)旅に心を求めて№6-2・松本まで[2015/5/22等]→2017年12月9日k掲載
(2)旅に心を求めて№6-3・松代大本営跡[2015/5/23]→このページ
(3)旅に心を求めて№6-4・善光寺[2015/5/23]
(4)旅に心を求めて№6-5・野麦峠祭り―1・登山[2015/5/24]→2017年5月26日掲載。
(5)旅に心を求めて№6-6・野麦峠祭り―2・祭り模様[2015/5/24]→2017年5月26日掲載。
(6)旅に心を求めて№6-7・黒部ダム[2015/5/25]
(7)旅に心を求めて№6-8・立山[2015/5/25]
(8)旅に心を求めて№6-9・富山[2015/5/25]
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長野:松代:撮影日2015年5月23日:旅に心を求めて№6-3・松代大本営跡→2017年12月16日掲載
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(2017年12月16日記述)
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【日程】
①6時頃起床。
②風景撮影7:36~9:12
③松本駅9:37~11:09長野着 〈徒歩合計20分〉
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④バス:長野発11:15~松代着12:00(82銀行前)
⑤象山神社12:45~松代大本営跡12:56頃着
⑥大本営跡14:26発~もう一つの歴史観・松代(入場料200円・解説付き)15:05発。
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⑦松代バス停発15:28発~16:10松本駅~16:35善光寺着
〈松代での徒歩合計180分〉
⑧善光寺発19:35頃発~19:55着=長野駅発20:53~22:19村井駅
〈長野での徒歩合計170分〉
⑨村井駅~22:27着健康ランド。〈徒歩6分〉
※の日の徒歩合計は約380分(終始重い荷物二つを持って)
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(1)松代まで。
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バス及び汽車共に快適であった。色々と配慮を感じ有り難かった。感謝!
松本から長野への汽車の道中、疲れから寝ていた。
ふと目を覚ますと、泊まっていた駅はなんと、私が今回のFieldworkの候補の一つとしていた姨捨(おばすてやま・うばすてやま)駅であった。
これは姥捨て山の舞台となったところである。小泉八雲も題材としていた名称である。
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姨捨山(おばすてやま・うばすてやま)は、長野県千曲市と東筑摩郡筑北村にまたがる山である。
小泉八雲関連の書物をあさっているときに、いつか訪問してみたい地の一つとしていた。
地名のゆわれは奈良時代の棄老伝説によるという説もある。また高浜虚子の「更級や姨捨山の月ぞこれ」の句碑(昭和32年9月建碑)もある。
ともかく、目覚めて大急ぎで電車の中から撮りまくった。
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幸いに、対向列車待ちで数分止まっていたため助かった。
撮影開始10:42で撮影終了が10:45である。
今回の旅の4日目の予備日・5月25日(野麦・松代大本営を何かの理由で撮り損ねた場合の予備日)に野麦・松代再撮影不必要となれば、候補地の一つとしていた地である。
テーマは記さなくても分かるであろう。
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(参考)松代大本営跡(まつしろだいほんえいあと)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道跡である。(Wikipediaより)