富山:黒部:撮影日2015年5月25日:旅に心を求めて№6-5・黒部→2018年1月5日掲載

(見出し)黒部ダム建設に当たり、殉教者171名。殉教者慰霊碑を撮る。なお、殉教者慰霊碑はかなり破損が来ていた。破損部分を望遠レンズで撮影。又、1989年撮影の殉教者慰霊碑も掲載。

 

【旅に心を求めて・野麦の旅掲載目次】ピンククリックで該当ページへ。
序)旅に心を求めて№6-1:1989年野麦の旅の概要→2017年5月25日掲載

◎野麦再訪
(1)旅に心を求めて№6-2・松本まで[2015/5/22等]→2017年12月9日掲載
(2)旅に心を求めて№6-3・松代大本営跡[2015/5/23]→2017年12月16日掲載
(3)旅に心を求めて№6-4・善光寺[2015/5/23]→2017年12月23日掲載
(4)旅に心を求めて№6-5・野麦峠祭り―1・登山[2015/5/24]→2017年5月26日掲載。
(5)旅に心を求めて№6-6・野麦峠祭り―2・祭り模様[2015/5/24]→2017年5月26日掲載。
(6)旅に心を求めて№6-7・黒部ダム[2015/5/25]=このページ→2018年1月5日掲載
(7)旅に心を求めて№6-8・立山[2015/5/25]
(8)旅に心を求めて№6-9・富山[2015/5/25]

富山:黒部:撮影日2015年5月25日:旅に心を求めて№6-5・黒部ダム→2018年1月5日掲載

(2017年12月16日記述)

●5時頃起床。
○6時45分朝食→感想は既述済み
○7時20分頃ホテル発
●7時48分松本駅発


○8時53分信濃大町駅着
●9時5分路線バス・信濃大町発
○9時45分扇沢(ogizawa)着
○10:00トロリーバス・扇沢発
■10:16黒部ダム着→殉教者慰霊碑を探すも見つからず。後に見つけたが立ち入り禁止であった。
○12:20ケーブルカー黒部発
●12:25ケーブルカー黒部平着
○13:00ロープウェイ黒部平発→右側に乗る。次回行くことがあれば左側に乗るように。
●13:07大観峰(Daikanbo)着
○13:15?トロリーバス・大観峰発


●13:25?トロリーバス・室堂(Murodo)着
○15:00?高原バス・室堂発
●15:50高原バス・美女平着
○16:00ロープウェイ・美女平発
●16:07ロープウェイ・立山駅
■16:15富山電鉄・立山駅発

■17:15富山電鉄・富山駅着

 

◎17:40頃富山地鉄ホテル着(道間違えたため。ホテルは富山電鉄内にあり、通常は17:20にチェックインできていた)。
○18:03頃ホテル発
△18:05頃?市電富山駅前発
■18:26富山城跡着
□19:31富山城発(徒歩)
●19:41噴水着
○20:00噴水発

△20:20頃・食事→吉野家の牛丼
▼21:10頃・ホテルへ
~午前3:00頃まで独り言止まず
?午前6:00頃起床~午前迄独り言

《徒歩合計330分》


◎黒部ダム殉教者犠牲者慰霊碑について。{拙著『旅に心を求めて・不条理編(上)』より抜粋}

 松本で一夜を過ごした翌日は、やはり不条理の臭いを感じていた、高校時代に見た映画・『黒部の太陽』の舞台、黒部ダムに向かう。野麦の旅の帰路、黒部ダムに寄ったのは景色を見るためではない。それは歴史の底辺にいて、社会を支えた人の労苦ともう一つそこから〝何か〟を得なければ、と考えたからである。この〝何か〟を求めていた。
 それは、高校一年のとき(一九六八年)に見た映画『黒部の太陽』で、黒部ダムを造るのに多くの死者(殉職者か犠牲者か不明も一七一人)が出たことを知り、大きな疑問を抱いていたことを思い出したからである。

 犠牲者が出るにも拘(かか)わらず、何故(なぜ)ダムを造る必要性があったのだろうか、と。一人でも犠牲者が出ることが予想されるならば、造らなくても良いのではないか。そうした高校一年生らしい素朴な疑問を、大昔に持っていたことを思い出したからである。それが、脳裏をよぎり、気づくと黒部ダムにいた。黒部ダムで、真っ先に行ったのは「黒部ダム殉職者」のブロンズ像である。黒部ダム見学の前に、まず、合掌する。

…………

 
 既(すで)に記したように、高校一年のときに、私はこの映画を学校授業の一環として見に行った。そのときに、このダムを造るのに一七一名の方が亡くなられたことを知り、割り切れない想いを感じたことも既に記した通りである。
▽ これらのダムや大橋をつくるために、殉職者か犠牲者か不明も、死者が出ることはやむを得ないのか。人が言うように、こうした物がなければ、更に多くの人命が奪われるので致し方ないのか、という素朴な疑問である。しかし、今ですら幾つかの疑問を持っている。
▽ 第一に、科学の進歩を待ってから工事をすれば、経済的利益を求める風潮を生み出さなければ、殉教者や犠牲者はそれほど多数は出なかったとしか思えない。だが、経済が進歩しなければ、多数の人が不幸になるというプロパガンダ(宣伝)がなされる。水俣を見るがよい。また、過労死は英語になったくらいである。これが幸福というものであろうか。さらに、その種の経済成長は長続きするものではない。現在(二〇一〇年)が証明している。

 第二が、建造などに当たった労働者が、その意義を理解し、他の楽な仕事を拒否し、自ら進んで命をかけると志願してきた人〝のみ〟であろうか。それとも、事実上他の仕事にありつけない状況におかれていたため、選択の余地がないと考えてきた人たちであろうか。

 第三が、建造に関連した大手建設会社幹部が、そうした危険な場に自分の子息を進んで派遣していたのであろうか。ちなみに、瀬戸大橋の場合には、賛美されるのは、瀬戸大橋建設を促(うなが)した政治家であり、瀬戸大橋を造(つく)るときの犠牲者ではない。瀬戸大橋を通行するとき、誰も犠牲者のことは知らないし、考えもしない。黒部ダムは、せめて犠牲者・殉職者の碑をつくったことだけが、私には救いと感じられた。
 現在の民主主義社会の実態は、人間の〝命の重さ〟に大きな差が公然と事実上存在していることにある。かつての奴隷制度のような形をとらず、主として金と学歴を中心に格差が形成されている。金や学歴のない人間は、事実上職業選択の余地がなく、雇われた場では将棋の駒としか見なされない。金や地位のある人間の命の重さは重要であるが、そうでない人間は、時にはその命も大切と言われながらも、実際はせいぜい貴重な消耗品の損失としか見なされていない。これが堂々とまかり通っているのが今日(こんにち)の社会である。他の国においても、事故死の危険が大きい仕事等々は、まず外国からの出稼ぎ労働者を持って来る。彼らの命は軽いということが暗黙の前提となっている。
…………



拙著(浜田隆政著)『旅に心を求めて・不条理編(Kidle、Kobo各百円)』より抜粋。
 →海外の方はアメリカドル1ドル($1)で販売中。
 百円ですが、ページ数は上下・共に約九十ページ(付録いれて百ページ余り)。海外でも発売していますが日本語です。どなたか英語に翻訳をして頂ければ助かるのですが。私自身は(私の語学力では)翻訳は大変時間がかかるどころか、多数の仕事や大儀で今は無理です。


①黒部ダム―1

写真は一度クリックでPC大、二度クリックで巨大。

15-019-053 05_25 103128

 



②黒部ダム―2

5-019-074 05_25 104355



③黒部ダム殉職者慰霊碑撮影が目的であったが閉鎖―1:残念

15-019-096_DSC_1936



④黒部ダム殉職者慰霊碑撮影が目的であったが閉鎖―2:残念

15-019-090 05_25 105600



⑤黒部ダム殉職者慰霊碑―1

 →犠牲となった殉職者171名

15-019-093_DSC_1933



⑥黒部ダム殉職者慰霊碑―2

15-019-076 05_25 104839



⑦黒部ダム殉職者慰霊碑―3

15-019-121 05_25 111333



⑧黒部ダム殉職者慰霊碑―4

15-019-099 05_25 105853



⑨黒部ダム殉職者慰霊碑―5:(下記の如く、破損が起こっていた。)

15-019-102 05_25 110312



⑩黒部ダム殉職者慰霊碑―6

15-019-081 05_25 105019



⑪(これは1989年撮影のもの)黒部ダム殉職者慰霊碑―1

89-009-07-f



⑫黒部

15-019-135 05_25 115703



⑬黒部から黒部平に向かう

15-019-142 05_25 122033



⑭黒部平着

15-019-147 05_25 122729



⑮黒部平からの展望―1

15-019-155 05_25 123434



⑯黒部平からの展望―2

15-019-156 05_25 123440



⑰黒部平から大観峰(Daikanbo)へ―1

15-019-170 05_25 124637



⑱黒部平から大観峰(Daikanbo)へ―2

15-018-046 05_25 124239



大観峰(Daikanbo)

15-019-196 05_25 131140