岩国:撮影日2016/04/06:旅に心を求めて№5-2:夜桜と錦帯橋
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【構成】(ピンク文字クリックで該当箇所へ)
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(1)岩国にて(2014年9月)→2017年4月15日再公開→4枚追加し5月6日再々公開
(2)桜と錦帯橋(2016年4月6日)→2017年5月6日公開
(3)夜桜と錦帯橋(2016年4月6日)このページ→2017年5月11日公開
(4)雨と桜と錦帯橋―1(2016年4月7日)→2017年5月17日、修正し再公開
(5)雨と桜と錦帯橋―2(2016年4月7日)→2017年5月20公開。
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フィールドワーク岩国行きは決定及び公約済みであった。
そして、2016年桜の時期を有力候補としていたが、関学へのFieldworkで足を痛め、かつ疲労困憊(こんぱい)で2017年度へ延期か、本年としても翌日(4月7日)に我が家発かで迷う。
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関学の裏山で4月4日負傷して、4月5日の唐招提寺行きを中止し、同日に帰宅する。
帰宅後、寝る頃には次年度が賢明かとほぼ方針が固まり、目覚ましもセットせずに眠る。
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ところが、4月6日朝午前4時頃に目覚める。
始発の汽車は午前6時頃である。
我が家からは自転車で片道30分(約6キロ)のため、午前5時半には家をでなければならない。
迷っている間に始発には間に合わなくなる。
だが、パソコンで岩国の宿を探しながら、同日の岩国行きを再度迷う。
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理論上、最低でも後一日休みが必要と判断した。
それを独り言で言った直後、突如午前6時半頃催眠状態で岩国のホテルを予約してしまう。
ところが、我が家近くの駅から出発の汽車で二番目に早いのが午前7時頃である。
(始発は先の如く不可能だったので。)
これに乗れば岩国に午後13時頃に着く。
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午前6時半頃ホテル予約で、我が家から約6キロ離れた駅に午前7時に着かなければならない。
バスもタクシーも一切ない。
そこで大慌てで我が家を出る(午前6時40分頃)。
前回書いた如く、出発準備は前日していなかった。
しかし、迷う暇はない。
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即、出発となる。
まさに、この間の行動は、夢遊病の如しであった。
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自転車をエンヤコラとこぎながら駅につくと、靴下は関学に行ったときのままであった。
着替える暇もなく眠ったので靴下を脱いでいなかったのである。
ウィンドブレーカーは裏表を逆に着ていた。
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しかし、もっと大きな問題があった。
青春18の切符を持参していなかった。
私は駅で独り言を言った。
「あれでは、切符を忘れても当然である。
夢遊病の如く、準備もせず、一気に家をでて忘れ物をしない方が不思議である」、と。
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しかし、切符がなければ汽車に乗られない。
さらに、予約したホテルの地図、関連地の地図もアウトプットできていない。
『日本のフィクサーME・パート2』で記すが、私は極度の方向音痴である。
ともかく、切符がなければ話にならない。
もう、家に戻るしか方法はない。
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こうして駅から我が家へ、再度自転車で戻る。
我が家へ戻ったのが午前8時前ではなかろうか。
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しかし、宿はとってしまったので、本日岩国に行くしか方法はない。
次の汽車は午前9時過ぎである。
これにのれば岩国には15時13分に着く。
駅から錦帯橋まで、バス待つ時間などを考慮すると一時間以上は覚悟しなければならない。
夜桜撮影にはギリギリである。
夜桜が一番綺麗に撮れるのはライトアップの少し前である。
ライトアップが始まった頃には、色温度の関係で思う空の色がでないのである。
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そこで、この汽車に乗り遅れると、もう、岩国の夜桜撮影は不可能である。
すると、午前8時半には家をでなければならない。
大急ぎで出発準備をして、我が家を午前8時20分に出る。
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こうして駅に午前9時頃着く。
起きて、自転車に乗った距離はこの時点で約20キロ(正確には18キロ余り)となっていた。
しかもポンコツのスピードがでない自転車である。
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駅に行く途中、Sandiskのプロ用32GBのSDカードを入れたはずがはいっていないのに気づくが、もはや戻ることはできなかった。
こうして、我が家再度発午前8時20分頃、駅発午前9時頃、岩国駅着15時13分着となる。
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本来、スムーズに錦帯橋についても、簡単でも夜景ではない景色を撮影する時間を考えれば、当然岩国城などには登る時間はなかったはずである。
しかし、バス会社の機転か何かで思いもせず、錦帯橋には早くついた。
その結果、前頁の桜と錦帯橋撮影の後、岩国城にも行けることになった。
ケリー国務長官が、広島城に行く予定がなかったのに行ったのと同様に、私も岩国城にいくことが可能となった。
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何故、こういう羽目になったのか。
そのヒントは今日か明日記述する「イチロー君の三千本安打の祝い模様と…」にあるかもしれない。
掲載箇所は「気が向けば戯言」か総合案内所の祝いブログのどちらかであるが、現時点では前者の可能性が高い。
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ただし、誤解のないように二点記しておく。
一点は、岩国の夜桜撮影などはする予定でいた。
しかし、関学での予期せぬ脚の負傷と余りにハードなスケジュールで延期が賢明と考えていただけである。
このときのスケジュールの過酷さは、4月4日我が家発関学行きから記述しなければ理解されないであろう。
なお、関学の裏のかぶと山で負傷した箇所の傷跡は今(2017年5月11日13時点)でも残っている。
打った時は(余り腫れていなかったし出血もしれていたので)痛いだけと思ったが、ものすごく晴れ上がり、出血をしていたことなどは夜桜と関学時計台撮影の数時間後に分かったことである。
撮影中はそれどころではなかった。
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もう一点は、帰宅後の手記に次の記述がある。
「詳細は後日記述。ただ一言、岩国は良い街である。おもてなしの心を感ずる」、と。
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次回、雨と錦帯橋撮影を前回の掲載に相当追加して公開予定でいる。
夜桜と錦帯橋よりも雨と錦帯橋の方が撮影結果はよかったのではないかと思うときがある。
そのときに、この不可思議な4月6日の旅の全貌(ぜんぼう)にもう少し迫れるかもしれない。
同時に、そのヒントの一つが「イチロー君の三千本安打祝い模様と…」(明日頃掲載予定)にあるかもしれない。
※勿論、イチロー君は無関係である。ただし、上記記載中には様々な人物が登場する。(o゚∀゚o)(・∀・)(@^▽^@)
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当時のメモの一部が下記。
「…
尚、道中、SDカード32ギガ・プロ用を入れたはずがケースに入っていない。
…自転車で往復…
青春18使用(5枚綴りで1万1850円。一枚あたり2370円。要するに片道の交通費が2370円。ただし、すべて鈍行)。
宿も朝食込みで4000円台かつ楽天期間限定ポイントなどで(実質の支払いは)千円……詳細後日。
Fieldwork出発。我が家午前6時40分頃発、再度戻り午前8時20分発、JR岩国着15:10頃。シンガポールへのフライトより遠いか
●4/5 22:30 頃就寝:4/6 4:00 頃起床:4月6日のみで自転車約20キロ、徒歩=約180分。4月7日は…
…
(夜)久々のテレビで工藤公康君と武豊氏と坂口親子を見る。
福原愛婚約を何かでみる→腐れ縁があるため後日祝いBlogにでも」(記述ミス等は一部訂正して掲載。)
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今回の文書は下書きなしで記述し、誤字脱字のチェックも一度しかしていない。
いつか「旅に心を求めて―小さな旅・雨の錦帯橋」という書物を記すときに、何度も見直し、正式な文書を記すことにする。
書物にするときの原則は下書き・見直し回数合計12回以上としている。
同時に思考やその他の付加価値を入れるため、今回とは随分違う内容となるであろう。
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①夜が更けると同時に本格撮影開始
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②同上。
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③桜と錦帯橋―1:
CCフィルターマゼンダと、携帯用ミニライトアップ器財
→全て三脚なしで手持ち撮影。尚、携帯用ミニライトは使用しない方が良かったかもしれない。
今回掲載の中で、この③の一枚だけがピントがどこにも全くあっていない(加工しない限り大きな失敗写真)。
大きくすればすぐ分かる。
俗に言うかなり大きなピンボケか手ぶれの写真。
③は削除するか検討中。
急いで掲載したための、掲載ミス。掲載理由は空の色温度がよくでた写真を急いで探したため(削除しない理由は一度失敗写真を見てもらった方がきっちり撮った写真の真価が分かるための比較用)。
故意のピンボケではなく、ミスのピンボケがどこがよくないか御覧あれ。
(故意のピンボケはときには重要性を持つが、ピンボケ・ブラケット抜きでは難しい。故意のピンボケは技術として難しい)
ただし、錦帯橋の桜アップ撮影は、③ほど大きなピンボケではないが、今回掲載も含めてほぼ全て軽度か微段階のブレがある。
③以外は、通常の人はブレはクリック二回で大きくしても分からないかもしれないし、A3レベルでも分からないかもしれないがA2などとなれば…、トリミングとなれば…。
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桜をいれていても、橋にピントをあわせた方は手ぶれはない(桜は被写界深度の関係で当然少しぼけるが橋はきっちりとでているため問題はない)。
ピンボケもない。
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錦帯橋と夜桜撮影の軽度敗因は分かっているためいつか再度。(ミスの技術解説は後日どこかで行う)
そこが関学夜桜撮影との差異。
次回の雨と錦帯橋の方が見応えがあるかもしれない。
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④同上―2
上の空の青が色温度という。一番良い色は24時間中5分程度しかない。
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⑤同上―3
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⑥同上―4
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⑦同上―5
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⑧同上―6
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⑨同上―7
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⑩同上―8
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⑪同上―9
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⑫同上―10
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⑬同上―11
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⑭同上―12
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