3:安重根記念碑―昼

  • (3)-①安重根義士記念館を目指す。
  • 翌日、安重根義士記念館を再度目指す。歩道は清掃作業の人だけしか見当たらず、心地よい静寂感につつまれる。まさに初冬の感がする。記念館途中入り口付近を下から見ると木の形が面白いので写す。(2013年12月10日10:59)
  • ※写真№13-070-135

 

 

 

  • (3)―②韓国の義士・安重根
  •  安重根義士記念館前の像付近につくと、軍隊が数十人でていた。私が着くや、軍隊は即座に解散した。だが、この像撮影中、人はほとんど通らず、また通行人と私との間に清掃の人がいた。私は、筑紫哲也氏の番組「筑紫哲也・News 23」で(当時の)盧武鉉大統領とご対面した。そのときから、彼を心の友と決めた。
     だが、このソウルでは至る所で、朴槿恵大統領に世話になった気もした。そこで、朴大統領任期中は、盧武鉉元大統領の取り扱いと朴槿恵大統領の取り扱いを対等にすることを方針とした。だから、2016年4月の「アリラン」特集でも、盧武鉉大特集はしなかった。案の定、その直後に韓国の総選挙があった。盧武鉉氏については、朴氏の大統領任期終了後から徐々に、思い出や幾つかの特集を検討する。
  • ※写真№13-073-016 (2013年12月10日11:22)

 

  • (3)―③
  • 私の父はカメラを趣味としていた。
     父がよく私に言った。「写真は順光で、空は青空がよい」、と。もし、今、父が生きていたならば。カメラも仕事の一環としている私は父に言う。「青空順光は一番芸術生が低くなんだ」。「いいかい父さん、それをお子様ランチ写真と言うんだ」。
     また、父は私に小さい頃言っていた。晴天は「f8かf11で1/125程度にしなさい」、と。私はまた独り言を言う。「いいかい、じいさん、絞りは被写界深度のためにあるんだ。だからボケが重要なんだ。ボケは父(とお)さんの十八番(おはこだろ)。カメラぶれ、三脚ぶれ問題を除けば、シャッタースピードは被写体を止めるかどの程度動かすかのためにあるんだ。」
     「露出(EV)はオーケストラの指揮者であり、絞り、シャッタースピード、ISO感度、レンズの個性、回折現象、これらを総合するものなんだ。」もし父が生きていれば、狸寝入りをするであろう。生きていれば今103才である。
     なお、父はよく写真芸術集をみてまねをしようとした。私は同様に写真(芸術誌)をみることがあるが、父とは逆で、そこなはない技法と写真を求めている。オリジナリティが重要っである。いわば特許の如くである。

    長い前置きの後で結論に入る。ということで、(2)―②と③の撮り方では駄目である。では、どうオリジナリティのある写真を撮るかで、この日は行き詰まった。行き詰まった中で像を逆光で―否、太陽に向かって―撮ることにした。
  • 写真№13-074-025-1 (2013年12月10日11:21)

 

 

  • (3)―④安重根と太陽(その1)
  • まず、太陽を上に入れて撮影し、後に加工してみた。今一つである。だが、晴天順光では人に訴える芸術力がない。チャレンジあるのみ。
  • ※写真№13-073-148

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  • (3)―⑤安重根像・太陽に向かって
  • 次に、スノークロスフィルターを使用して、もろに太陽に向かって、ワイド(16mm)で撮る。ついでに、フィルターを外して、故意にケラレをだしてみた。後に加工した。撮影意図は省略するが、結果として、銃口の如くとなった。良かったか、良くなかったかは今は分からない。結論として、雨の夜は撮れたが昼間は今一つであった。いつか、再チャレンジをするであろう。なお、ソウルに来た目的は安重根記念像を撮るためであった。
  • 写真№13-073-154

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  • (3)―⑥安重根義士記念館
  • 超広角撮影(17mm)としたのは、記念館、ソウルタワー、それに記念館前の落ち葉を入れたかったからである。落ち葉はA3~A2にすれば分かる。
  • 写真№13-073-125(2013年12月10日12:18)

 

 

  • (3)―⑦安重根義士記念館への道(1)
  • 記念館内は、受け付けの人と私だけであった。途中でもう一人来たかどうかであった。
  • ※写真№13-074-026-t

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  • (3)―⑧安重根義士記念館への道(2)
  • 記念館内は撮影禁止とのことで、写真は一枚も撮らなかった。
  • ※写真№13-074-030-t

 

 

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