早大:2017/11/26:紅葉の杜・早稲田大学―1・大隈・高田多重露出など

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早大:2017/11/26:紅葉の杜・早稲田大学―1・大隈・高田多重露出など


【構成】早稲田大学―紅葉の杜・早大(2017年11月26日、11月27日、11月30日)

(1)11月26日の早大―写真、絵画風、多重露出(オリジナル技法)、被写体ブレ利用編
 早稲田大学―紅葉の杜→2018/05/05公開(今回のページ)http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?item=3315

(2)11月27日の早大―絵画型編→写真、絵画風、小津安二郎型編・

  早稲田大学―紅葉の杜―2→2018/6/28公開http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?item=3367
  早稲田大学―紅葉の杜―3→2018/10/7公開 http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?item=3370 

(3)11月30日の早大―写真型編→写真、絵画風、ボケ利用編:

  早稲田大学紅葉の杜―4→2018/10/27公開 http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?item=3368 

  早稲田大学紅葉の杜―5→2018/11/4公開 http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?item=3747 

 


2013年以降、国内の大型旅は四つした。その内、三つがその前後に世界遺産となった。

確率は7割5分である。

もし、早大大隈講堂が何らかのユネスコ遺産となれば、100パーセントとなる。

早大総長。何とかならぬだろうか。陳情。

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新企画一枚型巨大写真コーナー奇数日更新(横はPC大、縦はPC画面の二倍相当)

現在早大シリーズ計百枚ほど展示予定。(2018年4月下旬~7月下旬頃まで隔日入替予定):下記クリックを。

本日(2018年5月5日~5月6日掲載)掲載写真は下記写真。下記HPでは迫力が違います。まずは御覧を

http://h-takamasa.com/conversation/custom15.html

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/992620291011461121

 


★写真はクリック一度でPC画面大、二度クリックで巨大。

①この日の早稲田は紅葉の終わりがけであった。風で舞い散る葉々…

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②オリジナリティ追求派の私は、この日は足のみを狙う(肖像権対策も兼用)

→肖像権対策上、レタッチ加工

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③同上

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④今一つ。では被写体の足・脚を動かすことにした。(シャッタースピードを大きく落とす)

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⑤同上。

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⑥パート2・絵風を意識して撮る。

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⑦絵風編―2

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⑧絵風編―3

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⑨パート3・高田早苗像と大隈重信像の多重露出へ。(まずは単独撮影)

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⑩高田早苗像―2(まずは単独撮影)



⑪同上・大隈重信像―1

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⑫同上・大隈重信像―2

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⑬同上・大隈重信像(絵風加工編)―3

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⑭同上・大隈重信像(絵風加工編)―4

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⑮高田早苗像と大隈重信像の多重露出撮影―1

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⑯高田早苗像と大隈重信像の多重露出撮影―2

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⑰回想編―確か、この一号館が私が所属していた政治学研究科であった、と思う。

懐かしい思い出が多い。ただ、本格的に研究するのならば、当時よりも、三十代後半の方がよかったかもしれない。

現在は、多くのテーマ、更にはオリジナル浜田政治学、浜田理論…多数あるが、もはや、冥土までには時間が少ない。

早大内では一号館と図書館の往復の日々であった。(早大外ではバイト三昧であった。)名目三年、実質四年在学。

四年目は主として法学研究科の一部との学習会と図書館三昧であった。

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⑱早大キャンパス図。

1977年~81年まで通学(ただし、籍は金銭の関係で80年で修了というよりも終了。学位は修士号。80年春から81年春は早大法学研究科諸君の一部と、そして図書館三昧。)

―当時の学部の学生には野田佳彦君、大塚耕平氏、法学部には岸田外務大臣、稲田防衛大臣、社会科学部に安住淳氏が、教育学部には下村文部科学大臣、辻元清美氏などがいたようである。

財界も多いが、今回は、ややこしいので書かずにおこう。(詳細に調べていないので在籍期間がちがっていれば御容赦を)

法学研究科、政治各研究科の大学院からは様々な大学の教壇で活躍している人物が多い。

2017年早大訪問時には法学部…の…教授などに表敬訪問と考えたが、迷惑になってもと考え中止。勿論、政経学部でも後輩が教授として…である。ただ、当時、いくつかの授業で一緒であった飯島昇藏氏が亡くなられたのを知り月日を感じる。つい、この間清水望先生の追悼文を書いたと思ったのに(清水先生の授業などでゼミ風でご一緒した)。

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⑲記念に大隈講堂を写す。

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⑳早大を取りあえず後にする。(取りあえずとは、この日夜更け前に再撮影予定でいた)

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㉑懐かしい通りを写す。

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㉒再度大隈講堂へ。(時間が約一時間遅すぎた)

今回の、早大は夜明け前撮影と、夜更け一歩手前撮影を構想していたが、全て、できなかった。

(一部は、夜の独り言強要で妨害された。これで家を出る前の構想は音をたてて崩れた)

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㉓夜の大隈講堂―2

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㉔夜の大隈講堂―3

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2018年5月5日