- 第二話-3
- だが、見てほしい。 原爆の子の像は多くの人に囲まれ、...
- (写真№13-55-97-H)
- 第二話ー4。
- 堂々と、そびえ立っていた。
- (写真№13-55-98)
第二話ー5。
- 第二話ー5。
- そして青い空に向かって!
未来に向かって、
叫んでいた!
〝平和を〟と - (写真№13-54-29-H)
- 第二話ー6。
- 私が作品化した「教師と子どもの碑」は?
「教師と子どもの碑」にも多くの折り鶴が飾られていた。
そして、この折り鶴には「核兵器廃絶」の文字があった。...
世界の人間が小学生の心を持ち続けていたならば! - (写真№14-32-135-H)(写真№14-31-69-H)
- 第二話ー7。
- 韓国原爆犠牲者慰霊碑は!
平和公園の中に佇(たたず)んでいた。...
今度は、平和公園の中の幾つもの像とともに。
だが、芸術愛好家でもある私には、先に(95年撮影で)紹介した、川の側(そば)の方がよかったのだろうか、という疑問がわいた。しかも、川の側は韓国の皇族が死んだ場所という縁もあったのに!
何も知らずに、教材に余分なことを書いたのか。1995~97年まで毎年配付教材に?
もちろん、私が書いたことが原因で、移転されたのではあるまい、と自らに言う。だがもやもやは消えなかった。
それもあり、翌年・2014年(本年)9月2日、私は真っ先に韓国原爆犠牲者慰霊碑へ行った。
そこで見たものは……。 - 上から(写真№14-32-60-H)・下から(写真№14-32-02-H)