1:日本~バンクーバー~ラスベガス

(1)アメリカ出発前。

 当初アメリカ行きの目的はマル秘としていた。だが、それでも妨害が多く、思いあまってFacebookやGoogle+などに以下の書き込みをした。アメリカに旅立つ前日のことであった。

■Facebook書込№15-16-1. (2015年2月26日)

 書きたいことは山ほどある。だが、妨害だらけ。25日も14時すぎに帰宅すると、誰かが電話器の留守電を解除していた。その直後、二万円が紛失していた。だが、間もなく、米国へのFieldworkがある。それも死の日程に近い強行軍である。おまけに私特有のトラブルもあろう。
 だが、オバマ大統領へのメッセージを伝えねばならない。なぜならば妨害だらけであったため、当初目的であった新国際経済秩序・新国際政治秩序の骨組みを記し、それをホテルにおいて帰ることが不可能になったからである。Twitterに記載した内容とFacebookに記載した内容の両方(私はTwitterとFacebookを使い分けており、記載内容の大半が異なる)を読めば分かるであろう。

 だが伝えねばならず。戦争なき世の実現を。
 しかし、もう時間がない。
 せめて、世界連邦平和像の写真のみを掲載する。

 世界連邦平和像作者は北村西望である。長崎平和祈念像作者でもある。そこで、一枚目は長崎平和祈念像を、二枚目と三枚目が世界連邦平和像である。

 書きたいことは山ほどある。だがもはや時間がない。書きたい。無理である。アメリカに行く前に、幾つもの目的があったのに。これでは!残念。無念。トラブルさえなければ。せめてオバマ大統領よ、この写真を見てくれ(ほしい)。しかし、世界連邦平和像の方は写真さえレタッチもできず。もう今は午前3時前である。あの強行日程の前で。

 写真よ。まぐれでも良いので何か伝えてくれ!

※上記はFacebookからの引用である。そこで一枚目の長崎平和祈念像はここには掲載していない。興味のある方は、浜田隆政写真物語・〝魂〟(現在は写真物語館・長崎原爆に改訂)の間に掲載しているのでご覧いただきたい。

 

 

①出発前に撮影写真:世界連邦平和像

 

(写真№15-003-051)

 広島平和記念公園内の教師と子どもの碑(浜田隆政写真物語・話の間)から、奈良の大仏へたどりついた。それは、教師と子どもの碑の教師の手と奈良の大仏の手の本質が同一だったからである。(詳細は拙著『旅に心を求めて―仏像に愛を見る』参照)。
 同時に、浜田隆政写真物語・魂の間(ま)に掲載している長崎平和祈念像・魂と大阪城の周辺にある世界連邦平和像の本質が同一に見えて仕方がなかった。それもそのはず、この両方の像の作者は北村西望だったからである。北村西望特集をいつかするかもしれない。今回は、解説抜きで写真のみを御覧いただきたい。

 

(写真№15-003-055)
 上記文書を掲載した後、午前五時前に寝て、そして強行軍が開始となる。なお、今回掲載の二枚は上記のFacebookの記述と異なり、両方とも世界連邦平和像の方である。




(2)死の強行軍

■ラスベラスベガス到着までの日程は次の通りであった。


①午前11時頃伊丹空港着→14:15発(NH-2178)
②15:35成田着。19:00成田発→(AC0004で約8時間30分機内)
③北米時間(2/27:時差約17時間)10:30バンクーバー着
 →カナダ入国審査・同国出国審査、バンクーバーでのアメリカ入国審査
 そして、またものセキュリティチェックである。
 15:05発予定が飛行機の遅れで15:40頃発→約3時間(AC1898)
④(現地時間)18:30頃ラスベガス→19過ぎホテル着。
⑤翌朝5:00モーニングコール
 ※フライトと待ち時間合計約26時間

「時差のややこしさ。成田を2/27の19時にでて、長いフライトをしてもバンクーバーには2/27の午前10時半に着く。即ち、タイムマシン同様、時間は逆に戻っている。夜でて、同じ日の朝着く。午後19時→午後18時→午後17時→……午前12時→午前10時半着である。これを英語ではGaining dayという。なお、この日飛行機は全て満席であった。さらに、もの凄く太い腕をしている人が目立った。私のガードマンというが如くに」(公式HP>おしらせ>2015年Fieldより抜粋)

後は文書ほとんど抜きで写真のみ見ていただこう。

 

①伊丹空港

(写真№15-005-013)




②伊丹から成田空港途中。(富士山が見えた。真ん中の席から写す。

(写真№ 15-008-027-200)

 この富士山。どこかで見た思い出がある。そう、早大大学院に合格したが、金欠で夜行バスで上京するときにみた。時間は夜明け直前であった。あの富士山と同様であった。

 

③成田空港。

(写真№ 15-008-039)

写真の極意。逆光は誰とて避けたい。だが、太陽が見えれば話は別。写真の極意、それは太陽に向かって撮れ!勿論、目を守ることを忘れないように。長時間の待ち時間の後でバンクーバーに向かう。だが、トイレで酷い目にあう。いつか記すことにする。

 

④バンクーバー空港

(写真№ 15-005-028)

 ラスベガス行きの飛行機を待つ間とはいえ、はじめてカナダの大地を見る。いたるところで木が強調されていた。カナダ入国側は、日本で言えば定年後に来ているという牧歌的な職員が多かった。田舎の小父さんを連想させる職員がいた。大変フレンドリーな小父さんであった。私は彼に向かって「(You are) family type Offiecer (正確にはYou are a family-like officer.)」と言ってみた。すると、この牧歌的な職員がプレスリーの真似をしていた。何故か、プレスリーをみんなが強調していた。

 なお、行きの飛行機は空席なしの満員のようであった。同時に、プロレスラーの如く腕をした人が多数乗っていた。まるで、私のガードマンと言うが如しに。しかし、ガードマンやSPでもトイレ問題では何の役にも立たぬ。

 またバンクーバー空港でのアメリカ側入国審査では、いかにも怖そうな職員が対応してきた。そのときの話の一部は拙著公式HPの2015年Fieldで紹介している。詳細は作品にて記す。この怖そうなAfrican Americanの職員が人に分からぬように最後に言った言葉。「Bye, bye」、と茶目っ気に。

 

 

●バンクーバー空港に飾ってあったTransformation Mask

(写真№ 15-005-042)

★上記写真も含めて詳細は後日作品にて解説する予定である。

上記の解説文。

(写真№15-005-025)


◎上記英文

The transformation mask is one of the most dramatic carvings of the KwakKwaka'wakw peoples. It depicts the inner and outer being. The dancer emerges from behind a dance screen with the mask in the closed position. As the dance proceeds, the dancer whirls about and the mask snaps open to reveal the inner beings. the mask, carved from red cedar, presents Raven on the outside. Bak'was, the wild man of the woods, appears within.




⑤バンクーバーは木の街であった。バンクーバー空港にて。

(写真№ 15-008-042)

 ※バンクーバーは、行きと帰りの合計八時間滞在したが、全て空港内の待合室(出発カウンター前)のみであった。いつか、行ける日々がくればよいが。もっとも、トイレ問題もあるが、……。

 

⑥ラスベガス空港

(写真№ 15-005-044)


 ★伊丹のホテルをでてから、約二十六時間後にラスベガス空港に着く。

 もし、世界中の人が私を見ているとすれば、アメリカで大変であったと思うかもしれない。しかし、より大変であったのはアメリカの領土以外であった。即(すなわ)ち、成田~バンクーバー迄(まで)の方である。さらに、帰路はバンクーバーで大変であった。同時にバンクーバー~成田間で通常の人には分からぬ大変なことがあった。この間の大変さはアメリカ領土内であったことを上回っていた。トイレ問題も、人には分からぬ・気づかぬ多くの謀略が別にあった。どこかで書くときもあろう!ちなみに、飛行機もアメリカ関連の飛行機会社ではないとくる。人には分からぬ米国領土外であったことを記すだけでも、簡単な本が一冊書けるかもしれない。

 しかし、カナダには興味を持つ。仮定法であるが、いつかカナダにも行けたならばとも思う。行きがけ、バンクーバー空港で四時間以上の待ち時間があったので、空港周辺をタクシーで行き来すればよかったとも後に思った。しかし、当時はそんな悠長(ゆうちょう)な状況ではなかった。

 

 

★上記②③④解説文章追記。

下記は、Facebook(4/16掲載)し→微修正後Google+(4/17)掲載→その後、このHPの下記文章を微修正する。

 

写真②→Facebook書込№15-21-2.「This is America」第一話・アメリカまでの道・富士山を見る。

序はFacebook書込№15-20で紹介した。
(1)の中から三枚のみ写真を掲載する。

羽田~成田までの飛行機の中で見た富士山。

これに関して、拙著『閉じた窓にも日は昇る』から引用する。.

「……早大大学院には、親戚も知人もいない地に、金もほとんどなく倹約をして夜行バスで行く。下宿を見つけるまではと安い宿を探し、連れ込み旅館とは知らず入り恥をかき追い返され(その前は家の光会館で個室ではなく集団でごろ寝)……急いで安いアパートはあるだろうかと不安混じりに探す。大学院の奨学金はまず出ると思うも手続上半年近くは分からないし、その間は勿論出ない。仕送りはない。辛(かろ)うじて、かなりの本を収納できる安い下宿(早稲田界隈六畳一(ひと)間(ま)で家賃一万円前後)を見つけ奇跡と喜ぶも日光は全く当たらぬなど問題多数あり、バイトも凄い数の面接を受けるがすぐには就けず。仕送りは一円も無し、奨学金無し、バイト当面無し、知人無し。知人が多い関西や岡山の実家までは遠いのみか旅費がかかり簡単には戻られず。西宮市教育委員会時代に貯めた金が底をつくまでにバイトは見つかるか否か。……だが安易に親に仕送りを依頼する気はない。姉への援助依頼は考えたことなどただの一パーセントもない。……」

飛行機の中で見た富士山は、このときの夜行バスでのトイレ休憩のときにみた富士山と同一であった。


写真③→Facebook書込№15-21-3.「This is America」第一話・アメリカまでの道・成田空港

成田空港の飛行機は汗をかいていた。冷や汗であった。
私の旅を暗示していた。
旅の日程は以下の通りであった。

「トラブルだらけの中、2月27日旅立つことになる。日程は死の日程の如(ごと)し。この旅は、拙著の作品に不可欠な旅であったが、Twitterなどに記した如く妨害だらけであった。なお、旅のコースは当初は「伊丹→羽田→(バス)→成田→バンクーバー→ラスベガス→バス→ホテル→バス約700キロ→グランドキャニオン→バス約600キロ→ラスベガス→仮眠→バス→ラスベガス空港→バンクーバー→成田→バス→羽田→伊丹」と当初は聞いていた。直前の日程をみるとほんの少し楽になっていた。行きが伊丹→成田へと。後は大体この日程か。3泊5日である。ほとんど飛行機とバス中か?」

拙著公式HP<お知らせ<2015年Fieldより抜粋
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/custom36.html

実際には行きだけ羽田→成田となった。また帰路は伊丹が関空となった。

そしてトイレ問題が起きる。
詳細は、絆の間参照。


写真④→Facebook書込№15-21-4.「This is America」第一話・アメリカまでの道バンクーバー空港にて(トランスフォーメーションマスク)。

このトランスフォーメーションマスクが、アメリカでのトラブルとは別の光を暗示していた。ネィティブアメリカンを初めとする多くのマイノリティと分類される人達との出会いであった。

私は、大昔に、女子高校の教壇に立っていたときに、次の試験問題をだしたことがある。「マザーテレサは貧しい人は美しい、となぜ言ったのかを書きなさい」。

マイノリティの人がすべて貧しい訳ではない。同時に、すべて美しい訳でもない。だが、私自身が苦学生であった経験から、過去にしいたげられた人達(現在もそうした状態は解消していないと思われる)に、愛着を持つのである。

 この旅ではトラブルと、他方、第三話で記す虹三昧(ざんまい)、それにラスベガスでの光三昧を見た。

マザーテレサをだしたついでに、聖書の一節を引用し、為政者達に贈る。
「Blessed are the peacemakers: for they shall be called sons of God.」
(平和をつくり出す人たちはさいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。)

マザーテレサとの逸話は拙著「浜田隆政公式Blog」を参照いただきたい。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=676

※今回の文章は①Facebook(4/16)→微修正後に②Google+(4/17か4/18)→微修正後に③拙著「浜田隆政写真物語・絆の間」への追加文→(かなり寝かした後で・多分数年後に)④作品化を行う予定でいる。今回掲載写真は絆の間に掲載しているものの一部にすぎない。
 よって、文章は公開中も随時必要に応じて書き直しをする予定でいる。作品化し終えた清書文章ではない。途中経過の文章である。

  • 「○○○○」は、○○○○○○○○のオリジナルブランドです。伝統的な技術をもとに、自由な発想で新製品を開発しました。
  • ここにTOPICSが入ります。ここにTOPICSが入ります。ここにTOPICSが入ります。