2-2:西部の大地―2

 

(注)このページは掲載する写真が多いため、縮小と圧縮をして、300 kb程度を目処としている。(元画像は8 bit処理で写真一枚120 MB以上である。16 bitならばその倍となる。)


(5)空

5-①・郷愁。
 海外に行くと、普通の家ほど珍しく見える。豪邸は世界標準のため、珍しさがないのかもしれない。それとも、普通の家に住む人の生活を連想し、郷愁を感じるのかもしれない。

(写真№15-005-165 & 165M)

 

5―②空(1) 
 空は雄大である。人間社会の些細(ささい)なことを忘れさせてくれる。同時に、今の私には、空がダイヤモンド、いや、石油の如くに見える。

(写真№15-005-186)



5-③空(2)

(写真№15-005-190)


5-④空(3)

(写真№15-005-192)

5-⑤空(4)

(写真№15-008-207-2023-1)

 

5-⑥空(5) 
 芸術性のないことを記そう。
 この写真を見ると、私には空から金がふってくるようにみえる。石油も、大昔は、燃える汚い水で厄介者であった。私は写真展はする気はない。写真物語展を大きな目的のもとでしているだけだ、と言った意味がお分かりになったであろう。

(写真№15-005-202)


 

(6)西部の大地

6-①西部の大地・Part 1(1) 
ここから、昔見た映画の舞台を思わす世界が登場してくる。

(写真№15-005-214)

6-②西部の大地と馬・Part 1(2)大地と馬 

(写真№15-005-220)

6-③西部の大地・Part 1(3)馬

 (写真№15-005-195)

 

6-④・西部の大地・Part 1(4)
 大地は叫ぶ。「風力発電も可能だぞ」、と

(写真№15-005-221)

6-⑤西部の大地・Part 1(5)
 雪が積もっても、リチウム蓄電池がある。それに、雪とて、設備さえあればミネラルウォータの
資源でもある。 

(写真№15-005-231)


6-⑥西部の大地・Part 2(1)雪と大地

(写真№15-005-236)


6-⑦西部の大地・Part 2(2)雪と大地

(写真№15-005-241)


6-⑧西部の大地・Part 2(3)雪と大地

(写真№15-005-259)

6-⑨西部の大地・Part 2(4)

(写真№15-005-261:300kb)

 

6-⑩西部の大地・Part 2(5)

(写真№15-005-265)

 

6-⑪西部の大地・Part 2(6)雪と大地

(写真№15-005-266)

 

6-⑫西部の大地・Part 3(1)家

(写真№15-005-271)

 

6-⑬西部の大地・Part 3(2)

 アメリカの時代劇を思い起こす。
 今、時代劇をつくれば、全く違う物語となるであろう。それについては追い追い(おいおい)語ることとする。アメリカの時代劇がなくなったもう一つの理由は善悪二元論に立脚していたことにある。だから、善悪二元論の立場をとらなかった、「大草原の小さな家」は十年前まで放映されたのである。

(写真№15-005-274)

 

6-⑭西部の大地・Part 3(3)

(写真№15-005-277)

 

《◇―3・私は何者か―レストランを前にして》

 ここから単元は変わるが、写真物語館では食堂まで同一の項目に分類する。
この《◇―3》の箇所は文書中心のため、公式Blogの下記を参照

 この問題に該当する解説は写真物語館には書いていない。下記の公式Blogを参照。ただし、ここは重要な内容である。

☆☆☆☆☆☆
(2023年12月17日頃正式公開予定:現在・2023/12/14はメモ段階)

「日本のフィクサーME・パート3」第3章訪米・
第4節―2・私は何者か―ボンと世界のMr. Hamadaの狭間で
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=41442
☆☆☆☆☆☆

7―①西部のレストラン道中
 レストランに間もなくつく道中である。

(写真№15-005-284)

 

7―②西部のレストラン界隈・1・レストラン

  レストランに着く。店員さんなどの車を除けば、車は一台も止まっていない食堂の中も、外から見たときはお客さんなどは誰もいなかった記憶がある

 ここで、昼食であるが、昼食をとればバス中以外での撮影は不可能となる。そこで昼食はやめた。アメリカにきて、このときまで外で一枚も写真を撮っていないのだから。昼食場の駐車場から写す。空も澄んで綺麗であった。
 そこで、この辺りを探訪することにした。

(写真№15-005-298)


7―③西部のレストラン界隈・2・駐車場にて
 見渡す限り、人はいない同時に不審者が入ってくれば10キロ以上先でも、即座に発見できる場所でもあった。

(写真№15-008-236-a)

 

7―④西部のレストラン界隈・3

 ここは川の跡なのだろうか。水があるならばどうして作物ができないのだろうか。

 遠方に車があるが、誰もが知っている地元の人なのであろう。
 ここは後に見るように砂漠のオアシスではないのだから。ただし、私の目のつく所には、ツアーメンバー以外は誰もいないというだけのことであるった。

(写真№15-005-293)

 

7―⑤西部のレストラン界隈・4

 降りて土を触ってみた。パラパラである。握ればパラパラとなり、手から崩れた。これでは作物は無理かもしれない。この横で気になる風景を見る。。

(写真№15-005-296)

 

7―⑥西部のレストラン界隈・5・広大な大地とゴミ

 空き缶が。

(写真№15-008-224)

 

7―⑦西部のレストラン界隈・6・広大な大地とゴミ

 いや、空き缶だけではない。ゴミもある。ビニールも。
★鳥が食べれば、喉につまり、死ぬであろう。

(写真№15-005-230)

7―⑧西部のレストラン界隈・7・広大な大地とゴミ

見れば至るところ、ゴミだらけである。この上側はツアーのメンバーが食事をとっている食堂である。

(写真№15-008-229)

 

7―⑨西部のレストラン界隈・8・レストラン

 このゴミのすぐ上には、立派なゴミ箱が幾つもあった。中はゴミを入れるには十分な余裕があった。あのゴミの場所からすぐ近くである。歩いて1~2分。車では数秒。それでは何故、ゴミ置き場を利用しないのか。

 政治学者でもある私には、アパシー状況の現れと考える。政治に関心があるが、自分らの一票は数億分の一であり、全く反映されない。……だが、自分らの生活は…。自分らの生き甲斐は…。

 自分らは労働から疎外(そがい)されていないだろうか…。こうした潜在心理の出現形態がゴミである、と、私は思う。

(写真№15-008-231-N)


7―⑩西部のレストラン界隈・9・レストラン

 ご覧のように人の気配は全くない。
 勘違いではないことは、この後の外出でもほぼ全て同一だったからである。勿論、アメリカだけではなく、中国の蘇州や上海でも同様であった。私は何者なのであろうか?

(写真№15-005-299-2023-2)


 

7―⑪西部のレストラン界隈・10・駐車場にて

 ●この食堂を離れる前に、再度、駐車場からの風景を撮っておこう。今度は別のカメラとレンズで。
 綺麗である。

 だが、この周りは先の如く、ゴミだらけ。しかも、ビニールは自然に浄化しにくく、鳥が食べれば喉につまり死ぬ。そのビニールのゴミも周りに散乱していた。

 最後に掲載する「光るラスベガス」も「This is America」であるが、これも「This is America」である。

 ゴミは単なるマナー問題ではなく、アメリカを含む先進国の病の象徴でもある。
 あるいは、あらゆる格差の存在を示してもいる。ゴミは政治心理のバロメーターでもある。
 もちろん、日本もゴミだらけである。日本の象徴・富士山が世界遺産になかなか指定されなかった大きな理由がゴミ問題である。日本も病んでいる。学歴を含む、あらゆる格差で病んでいる。

 しかしながら、注意してほしいことは貧乏人が病んでいるのではない。私は貧乏であるがゴミは捨てない。社会が病んでいるのである。

(写真№15-005-303-N)

 

この後は公式Blogで文書のみで記す。
テーマは《◇―3・私は何者か―ボンと世界のMr. Hamadaの狭間で》である。

☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
「日本のフィクサーME・パート3」第3章訪米・第4節―2・私は何者か―ボンと世界のMr. Hamadaの狭間で

(2023年12月18日頃正式公開予定:現在・2023/12/14はメモ段階)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=41442
☆☆☆☆☆☆

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 ただし、写真物語館にも、私の公式HPのprofile(プロフィール)の箇所のみはアドレスを掲載しておく。

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公式HP:プロフィール
https://takahama-chan.sakura.ne.jp/profile.html
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次々回{{「日本のフィクサーME」Part-3・第3章4節-3}}から、いよいよ、虹三昧(ざんまい)の世界です。第三話・レイクパウエルの虹。


虹は、言うまでも無く、多様性と協調のシンボル!

人類の希望への虹!