●午前5時50分大分発
●このページは掲載する写真が多いため、画素数を落としている。300kb程度を目処としている。(元画像は8bit処理で写真一枚で100MB以上である。16bitならばその倍となる)
Ⅱ-23・郷愁。
海外に行くと、普通の家ほど珍しく見える。豪邸は世界標準のため、珍しさがないのかもしれない。それとも、普通の家に住む人の生活を連想し、郷愁を感じるのかもしれない。

(写真№15-005-165:300kb)
Ⅱ-24・空(1)
空。空は雄大である。人間社会の些細(ささい)なことを忘れさせてくれる。同時に、今の私には、空がダイヤモンド、いや、石油の如くに見える。

(写真№15-005-186:200kb)
Ⅱ-25・空(2)

(写真№15-005-190:200kb)
Ⅱ-26・空(3)

(写真№15-005-192:250kb)
Ⅱ-27・空(4)

(写真№15-008-212-1:250kb)
Ⅱ-27・空(4)
●芸術性のないことを記そう。この写真を見ると、私には空から金がふってくるようにみえる。石油も、大昔は、燃える汚い水で厄介者であった。私は写真展はする気はない。写真物語展を大きな目的のもとでしているだけだ、と言った意味がお分かりになったであろう。

Ⅱ-28・西部の大地―part1(1)
ここから、昔見た映画の舞台を思わす世界が登場してくる。

(写真№15-005-214-1)
Ⅱ-29・西部の大地―part1(2)

(写真№15-005-220:300kb)
Ⅱ-30・西部の大地―part1(3)
●大地は叫ぶ。「風力発電も可能だぞ」、と。

(写真№15-005-221:300kb)
Ⅱ-31・西部の大地―part1(4)●雪が積もっても、リチウム蓄電池がある。それに、雪とて、設備さえあればミネラルウォータも資源でもある。

(写真№15-005-231:300kb)
Ⅱ-32・西部の大地―part2(1)

(写真№15-005-236:300kb)
Ⅱ-33・西部の大地―part2(2)

(写真№15-005-241-1)
Ⅱ-34・西部の大地―part2(3)

(写真№15-005-259:300kb)
Ⅱ-35・西部の大地―part2(4)

(写真№15-005-261:300kb)
Ⅱ-36・西部の大地―part2(5)

(写真№15-005-265-1)
Ⅱ-37・西部の大地―part2(6)

(写真№15-005-266:300kb)
Ⅱ-38・西部の大地―part3(1)

(写真№15-005-271:300kb)
Ⅱ-39・西部の大地―part3(2)
●アメリカの時代劇を思い起こす。今、時代劇をつくれば、全く違う物語となるであろう。それについては追々(おいおい)語ることとする。アメリカの時代劇がなくなったもう一つの理由は善悪二元論に立脚していたことにある。だから、善悪二元論の立場をとらなかった、「大草原の小さな家」は十年前まで放映されたのである。

(写真№15-005-274-a:300kb)
Ⅱ-40・西部の大地―part3(3)

(写真№15-005-277:300kb)
Ⅱ-41・西部の大地―part3(4)

(写真№15-005-284:300kb)
Ⅱ-42・昼食(1)
●ここで、昼食であるが、昼食をとればバス中以外での撮影は不可能となる。そこで昼食はやめた。アメリカにきて、このときまで外で一枚も写真を撮っていないのだから。昼食場の駐車場から写す。空も澄んで綺麗であった。
そこで、この辺りを探訪することにした。

(写真№15-008-236-a:300kb)
Ⅱ-43・昼食(2)
ここは川の跡なのだろうか。水があるならばどうして作物ができないのだろうか。

(写真№15-005-293:300kb)
Ⅱ-44・昼食(3)
降りて土を触ってみた。パラパラである。握ればパラパラとなり、手から崩れた。これでは作物は無理かもしれない。この横で気になる風景を見る。

(写真№15-005-296:300kb)
Ⅱ-45・昼食(4)
●空き缶が。

(写真№15-008-225:300kb)
Ⅱ-46・昼食(5)
いや、それだけではない。ゴミもある。ビニールも。★鳥が食べれば、喉につまり、死ぬであろう。

Ⅱ-46・昼食(6)
見れば至るところ、ゴミだらけである。上はツアーのメンバー食事をとっている食堂である。

(写真№15-008-227:300kb)
Ⅱ-47・昼食(7)
このゴミのすぐ上には、立派なゴミ箱が幾つもあった。中はゴミを入れるには十分な余裕があった。あのゴミの場所からすぐ近くである。歩いて1~2分。車では数秒。それでは何故、ゴミ置き場を利用しないのか。
政治学者でもある私には、アパシー状況の現れと考える。政治に関心があるが、自分らの一票は数億分の一であり、全く反映されない。……だが、自分らの生活は。自分らの生き甲斐は。自分らは労働から疎外(そがい)されていないだろうか。こうした潜在心理の出現形態がゴミである、と、私は思う。

(写真№15-008-232-a:300kb)
Ⅱ-48・昼食(8)
●この食堂を離れる前に、再度、駐車場からの風景を撮っておこう。今度は別のカメラとレンズで。
綺麗である。だが、この周りは先の如く、ゴミだらけ。しかも、ビニールは自然に浄化しにくく、鳥が食べれば喉につまり死ぬ。そのビニールのゴミも周りに散乱していた。最後に述べる光るラスベガスもThis is Americaであるが、これもThis is Americaである。
ゴミは単なるマナー問題でなく、アメリカを含む先進国の病の象徴でもある。あるいは、あらゆる格差の存在を示してもいる。ゴミは政治心理のバロメーターでもある。
もちろん、日本もゴミだらけである。日本の象徴・富士山が世界遺産になかなか指定されなかった大きな理由がゴミ問題である。日本も病んでいる。学歴を含む、あらゆる格差で病んでいる。ただ、注意してほしいのは貧乏人が病んでいるのではない。私は貧乏であるがゴミは捨てない。社会が病んでいるのである。

(写真№15-005-303-a-a:500kb)
次回は、いよいよ、虹三昧(ざんまい)の世界です。第三話・レイクパウエルの虹。
虹は、言うまでも無く、多様性と協調のシンボル!
人類の希望への虹!