6:ルート66

   ☝
アメリカの旅:Las Vegas→レイクパウエル→ペイジ →黄緑の線
ペイジ→グランドキャニオン→ルート66→Las Vegas→水色の線



This is America第6回:

ルート66・ニューディール政策、ルーズベルトの世界を見る。




ページ→グランドキャニオン→ルート66(セリグマン、キングマン)→フーバーダム→Las Vegas
この日の後半のルートはB(セレグマン)、C(キングスマン)、Dバス中からダムである

(2024/02/12追記)
 訪米中は睡眠不足や、最初の飛行機に乗るまで本当にアメリカに行くのか・どうか不明のため、訪米の際のルート確認はせずに来た。そこで、訪米中はどこに行っているのかさっぱり分からなかった。
 ページはレイクパウエル(パウェル湖: Lake Powel )よりもカナダ側と思っていた。すなわち、ページ(Page)へ行く途中でレイクパウエルがあるのかと思っていた。それが違うと知ったのは昨年(2023年)頃である。第14回世界の歌・アメリカ開催準備中であった。

  この日の、セリグマン(Seligman)とかキングマン( Kingman )等を知ったのは実に本日(2024/02/12)地図の準備をしていて分かったことである。

 

【事実上2日目のアメリカ(ペイジからLas Vegasへ)】

《前回、掲載ページ参照》
1:ペイジ
2:グランドキャニオン→吹雪で何も見えず
3:Bright Angel Lodge(グランド・キャニオン・ビレッジ)

《今回のページに掲載箇所》
4:セリグマン( Seligman )
5この間で食道へ
6:キングマン( Kingman )
7:(バス中から)フーバーダム(Hoover Dam)を見る

《次回、掲載ページ参照》
8:ラスベガス
☆翌朝4時にモーニングコールで即帰路に入る

 

4・ルート66のセリグマン(Seligman)

4-1: ルート66のセリグマン(Seligman)にある元散髪屋さん・エンジェルさん経営の店に入る。
(エンジェルさんはルート66の保存に尽力されたそうである)

 

(上=写真№ 15-008-249 )


4-2:同ショップ内の風景―1

※ホテルを出てから約3時間55分過ぎ:
現地時間3月1日11時40分:(日本時間3月2日4時40分)]

(写真№ 15-006-209 )


4-2:店内の写真に向かって挨拶を(私は紳士である)

下の写真がANGEL DELOGDILLO さん。
写真に向かって、そっと言ってみた。

私「How are you ?」
すると「I'm pretty good. How about you?」と言われたような気がした。
私「I'm short of sleep and tired out.
But I'm very happy to be here. Very happy. 」と言うと、
「Thank you!」という声が聞こえた。
私「ThankYou!

※黄色の部分は、実際に、この店で記帳した英文内容である。

 (徒然なるままに雑談But:2024/02/15)
 店で記載した私の英文で「 But 」の箇所は「 However 」の方が良いそうであるが、既にアメリカでこの店で書いた文書のため修正はできない。同時に、「等位説…で先頭のButはおかしい…」は根拠がなく、格調高い英文でも平気で文頭のButを見受けた。更に、問題はないという学者も多かった。誰かが勝手に言い出し、それが一般化して多勢に無勢となったのであろう。さすがに「 I too 」と言っても「 Me too 」だと直す人まではいないようである。

  ディケンズ(Charles Dickens: 1812年2月7日 - 1870年6月9日) は「 Christmas Carol 」などで明白に「 I too 」と書いているが、どこかで、誰かが…でそれがいつの間にか標準となったようである。かく言う私も変人と言われないように、「 Me too 」とか「日本のフィクサー ME」などと文法無視で書いてもいる。これで「OK(OK)」。「 OK 」ってどういう意味なのだろうか。 「 all correct 」なら「 AC 」だろうとなる。私の書いていることは「ナウイ (Nowy )」だろうか。

 ちなみに、「 H (エッチ)」なる語は日本の女子高校生が発明した語だそうである。「 Girl 」につきまとうから、「 G 」の後は「 H 」だそうである。正に「イグノーベル・文学賞」に値している。「Wikipedia」では、女子高校生発明までは同意見であるが、「エロス」のHと記載も、エロスは「 Eros 」で「 E 」だろう。すると「 Hentai (変態)」のH…と。だが、変態の元の意味は変態(へんたい、英語: metamorphosis )である。私が書いた説が当たっているかもしれない。
 和製英語もいつか斬ろう。「ドレミの歌( Do-Re-Mi )」の「レはレモンのレ」…などを。音楽の「レ」は Re( R )であり、レモンは Lemon ( L )である。

 要するに、学校・学校の授業も含めて世の中いい加減( irresponsible:例文=冗談もいい加減にしなさい→No more of your jokes [nonsense].)なのである。だからこそ、「いいかげん」は「良い加減」((just right)である。{参考。この物差しはちょうどいい加減である。→(just) the right size。お風呂はちょうどいい加減です→The bath is just the right temperature.}
そして、アメリカ旅行も「いいかげん」であった。この最後のセンテンスだけは英語に直さない。


(上=写真№ 15-006-204 :下= 写真№ 15-006-210)


4-3:ルート66

※ルート66保護活動に尽力されたそうです。
現在「HISTORIC ROUTE 66★GIFT SHOP &VISITOR CENTER」運営。。
「guardian angel of U.S. Route 66」

 ※幾つか面白い写真があったのですが、肖像権に配慮して、掲載していません。撮影のときも、常に肖像権・プライバシー権に配慮して撮影しています。

(写真№ 15-008-250 )


5・昼食をした所―店員さんが近所のボスの真似
 更に今月の歌で…――「私は何者か」と再度思う

※ホテルを出てから約5時間30分過ぎ:
現地時間3月1日13時15分[日本時間3月2日6時15分)


 この店で、二つの奇妙なことがあった。
何があったか、結論から書けば、飲み物のサービスで、我が家の近所のボス宅で起こったことと同一のことをされたのである。すなわち、飲み物をついでくれるついでに、ごくわずかではあるが飲み物をこぼしてきた。

 これは、(催眠等の…で)従兄弟との子ともの結婚式を撮影して、(様々な誘導のもとで)写真を贈呈したことがある。そのときに、近所のボス宅の娘さんが結婚したため、近所用の披露宴に招待されたときに、恰(あたか)も「我が家では…してくれない…」という仕草からであった。
 しかしながら、私に言わせれば、カメラや写真は商売道具であり、私的撮影はしない方針だからである。例外は催眠悪用とか、各種挑発類や謀略にひっかかった時のみである。その模様を遠くのアメリカでも知っていたようである。

 もっとも、2013年の訪中の際にも、私の写真問題…挑発があった。私が私的撮影はしないと言ったときである。すると、翌日蚕(かいこ)の家{我が家の裏の家で蚕の家…が}と結婚式場(結婚式では二度おかしな羽目に陥た件があった)の両方に連れて行かれ、撮るまでどかないと新郎新婦が私の前にたったことがある。アメリカでも中国でも、我が家界隈での写真トラブルを知っていた


 第二には、何故、アメリカでこうした挑発類があったのか。心当たりは世界の歌・前進の今月の歌にあったようである。今月の歌・(2015年)2月の歌では、私はジョーン・バエズ(Joan Baez、1941年1月9日 - )の「We shall overcome」を特集するつもりでいた。ところが、アメリカの鷹派(反人権派)類を刺激すると、訪米の際に私の警護でハメリカ政府が大変となるのではないかと気遣いをして、急遽テーマを同じくアメリカの「グリーンフィールズ」( Greenfields )に変更した。

 実際に、このツアーでは、私が二人いた要するに、私にそっくりな人が私の影武者というが如(ごと)く形でメンバーの中にいた。恰(あたか)もキング牧師が公民権運動のデモをするときと同様であった

そこで、「今月の歌」変更への抗議という如く形で、飲み物をわずかではあるがこぼされたと思わされた。というのも、ジョーン・バエズさんはマイナリティの味方という雰囲気があり、今回の旅ではマイなりティが随所に強調されていたからでもある。

 2015年頃の「今月の歌」などは箸にも棒にもかからない特集であった。HPを飾るために簡単にホイと掲載する程度のものであった。それも開始して2回目くらいである。ちなみに、「今月の歌」は20回で打ち切り、2018年からは「世界の歌」に衣替えして、現在(2024/02/12時点)で第14回となっている。
 当時の「今月の歌」初期の頃は「世界の歌」とは比較にならないほんの遊びにすぎなかった。それをアメリカで既に知られていたことである。
 これが二番目の驚きであった。

  若しくは、食事を抜く・食道に入らぬ方針への抗議であったか。
 アメリカに来て超過密な日程や睡眠不足で外に出られなかった。そして、まもなく、ラスベガスに戻る。多分夜になろう。そしてつくや即、帰国準備をして、翌朝4時頃にはモーニングコールがあり、帰路に入るとなっていた。キングマンに立ち寄らずに、もうラスベガスに直行かとも思っていた。実際に、キングマンの名前は昨日(2024/02/13)知ったくらいである。すると、間もなくアメリカでの撮影は不可能となる。ましてや、この日は雪で撮れないときが多かった。

  そこで来たときと同様に昼食は抜いて撮影に専念しようと考えた。すると添乗員や現地係員が今回の食事は「無料ですので…」でとの申し出があったため断れなくなり、レストランに入ったという経緯がある。それに対する皮肉であったかもしれない。もっとも、Joke型で嫌みのない形(クスクス笑いながら、何か意味を知っている…という形)でされたにすぎないことである。

 また、訪米に際して、私は好き嫌いがあるので次のことは頭にいれておいて、と何回か独り言やメモをしていた。「私は鳥類は駄目なので、七面鳥は食べられない」と。中国でも同様なことを言っていた。「私は鳥類は駄目なので、北京ダックは食べられない」と。そこで、中国では北京ダックがでることはなかった。
 アメリカでは先の経緯からか、七面鳥の肉がでたようである。見た目にはおいしそうに見えたし、上等に見えもしたが食べなかった。それへの皮肉であったのかもしれない。いずれにせよ、我が村での写真トラブルはアメリカでも中国でも住民のかなりの人が明白に知っていた。
 (なお、成田からバンクーバー道中の機内食では、「チキン」(発音はchickenともkitchenとも聞こえるように発音された)問題があり、「No thank you」で断ってもいた。)

 なお、七面鳥のどこが駄目なのか。食べたことがないから分からない。ただし、私が小学校後半の頃、父親が学校の教師を辞めて養鶏をしていた。その関係でヒヨコなどをかわいがっており、精神的に食べられなくなったようである。🐣🐤…🐓
 そのときの話(七面鳥がでたときの話)は拙著『日本のフィクサーME』か何かに面白おかしく書いていると思う。
 ともかく、ここでも、「私は何者なのだろうか」と想わざるを得なかった。


5-1:食堂内

(写真№ 15-006-220 )


5-2:昼食風景

※ホテルを出てから約5時間46分過ぎ
現地時間3月1日13時31分 (日本時間3月2日6時31分)

(写真№ 15-006-221 )。肖像権問題より、人物が写らないように撮影。

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6・キングマン

 キングマンの下記センターに入った。
 ここでは入場料を必要としていた。私は、雪がやんでいたので、外の風景を撮影したいため、中に入らないことにした。

 すると添乗員が、「今回は特別に入場は無料ですので…」と言ってきたため入らざるを得なくなった。ただし、入館は入り口から入らずに、出口から入ったか、それとも特別の入り口から入らされた記憶がある。
  ちなみに、ラスベガスのホテルは全て裏口から入り、裏口から出て行き、チェックインもチェックアウトの手続きも添乗員が行い、一度もフロントには行けなかった
再度、思う。

 「私は何者なのだろうか」。私よりも、世界の多くの人の方が詳しいようである。


6-1・「Power House Museum & Visitor Center」

(写真№ 15-006-224)

6-2・展示館内―1

(写真№ 15-006-232 ):日本の判例上、この場合は肖像権問題はない。

場所→「Power House Museum & Visitor Center」
{「Desert Power & Water Co., Electric Power Plant 120 West Andy Divine Ave. Kingman AZ」}  


6-2・展示館内―2

(写真№ 15-006-236-edge)

 

6-3・展示館内―2

典型的なアメリカのグランドマザー。
 ――私などは、この人形をみるだけで、「ゴメンナサイ、もう悪いことはしません」と言ってしまいそうである。

(写真№ 15-006-238 )

 



7:(バス中から)フーバーダム(Hoover Dam)を見る

 

(2024/02/12追記)
 一番下の原稿「TVA・ルーズベルトの世界を振り返る」は、このダムを思い出しながら、需要サイドの経済学と供給サイドの経済学の観点から、2015年に記載したものである。

 2020年以降、次のような想像をしている。
 トランプ大統領{Donald John Trump:1946年 -第49代アメリカ大統領 )は、リチャード・ニクソン{Richard Milhouse Nixon:1913年 - 1994年:第37代アメリカ大統領)とロナルド・レーガン{Ronald Wilson Reagan:1911年 - 2004年:第40代アメリカ大統領}をモデルとしており、経済でも供給サイドの経済学にたっているように思われた。

 他方、バイデン大統領{Joseph Robinette Biden Jr.:1942年 -:第46代アメリカ大統領 )はモデルをルーズベルト{Franklin Delano Roosevelt、:1882年1月30日 - 1945年4月12日:第32代アメリカ大統領)においているように思え、需要サイドの経済学中心のように思える。


 その角度から、一番下の2015年原稿「TVA・ルーズベルトの世界を振り返る」を読んでもらいたい。ただし、原稿を書いた当時は、オバマ大統領{Barack Hussein Obama II:1961年 - :第44代アメリカ大統領)時代で、トランプ大統領もバイデン大統領も登場する前であった。



 なお、海外の友人との付き合い上の、私の基本的態度は「海外の友人とは宗教と政治の話はしない」である。ただし、次の二点は可能と考えている。

 一つが、人類の最大の戦いを「病との戦いにおくべきである」、次に「世界のほぼ全ての国が加盟する、様々な強制力を伴う『世界連邦』の必要性」である。
  この二つは党派中立・宗派中立を貫いていても、海外の友との付き合い原則から言っても問題はないと考えている。
 私が訪米に際して考えていたことや、米国首脳との出会いはどうなったかは次回のラスベガスの箇所で記す。

7―1・バスの中から見えたダム

(写真№15-006-258)

 

7―1・バスの中から見えたフーバーダム (Hoover Dam)―1

※ホテルを出てから約7時間45分過ぎ
現地時間3月1日15時30分(日本時間3月2日8時30分)]

(写真№ 15-006-268-edge )
※「フーバーダムは、1931年に着工し、1936年に竣工した。ルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として建設されたとの話もあるが、着工は大統領就任の前である。ダムの建設作業にあたって熱射病のため122人が死亡した。また、1940年には貯水が原因と思われるM5の誘発地震が発生している。……」(ウィクペディアより引用)

7―2・バスの中から見えたフーバーダム (Hoover Dam)―2

 (写真№ 15-006-266-edgeP )


7―3・バスの中から見えたフーバーダム (Hoover Dam)―2

(写真№ 15-006-263)

 


 



(2015年記述箇所)

●TVA・ルーズベルトの世界を振り返る。
 ――新国際経済・政治秩序、新産業革命を、ニューディルからグリーンディールへ。

 私は、2013年の訪中を前にして、以下のことを叫び続けてきた。
「新国政経済秩序を、新国際政治秩序を、新型産業革命を……世界連邦への道筋を……」

 2015年2月27日~3月3日の訪米の際も同様であった。特に、フーバーダムを見て尚更(なおさら)その意を強くした。フーバーダムはニューディール政策どころか、ケインズ理論とは無関係との見解については、最後の※注2に二点のみ記しておく。
 
 ここで、現在の日本などが置かれている状況と経済政策に関する感想の骨子のみを以下記す。



(A)不況だからこそ、雇用を増大せよ=ケインズ理論の骨子。
 そうすれば、※注1の①~④の循環が起こる。その一つがTVAなどのダム政策であった。

 簡単に図示すれば1)労働者にお金を回す→2)消費拡大→3)企業が儲(もう)かる→4)生産拡大→5)雇用の増大……である。

(B)だが、この政策には副作用があった。インフレである。
 そこで、出発点を3)からにしようとする考えが登場する。理論上同一ではないか、と。レーガンなどの供給サイドの経済学である。

(C)違いがある。企業から救済か、労働者から救済かという。
 同じならば、弱者の労働者から救済すれば良いではないか、となる。
 それではインフレが……と言うが、今の日本では供給サイドの経済学の上で、公共投資を始めとするお金のばらまき政策を行っている。ただし、本来インフレとなるところを、お金を地下に埋め(国債残高を増加させ)て、経済が順調とみせかけているだけとなる。いずれ、このツケは不況下のインフレ、即(すなわ)ちスタグフレーションという形で日本を襲う危険性が大きい。

(D)しかも、供給サイドの経済学の前提には、敗者復活戦が構築されていなければならない。
 日本は米国と異なり年齢差別がまかり通っているように、その整備はされていない。おまけに、供給サイドの経済学を主張するならば、企業献金は全面禁止としなければならない。そうでなければ事実上の賄賂(わいろ)政治でしかない。これが現況である。

 (E)今回は写真物語なので、難解な解説はここまでとする。ただ、どうすべきかについて簡単な主張をしておく。
 世界的な新産業革命を!
 時代はそれを望んでいる。
 私が提唱する新産業革命とは、(再生可能な)新型エネルギー、新型IT革命、新型乗り物(乗り物はスポーツ以外では全て自動操縦となり、高齢者・障害者ほど乗れる物になること)、新型医療(特に医療工学。例えば医療工学が発達すれば、既に某論文で記したが眼球がなくても物は見えるはず)、知識集約型農業・漁業・林業……などの総合からなる。今回はごく一部しか掲載していない。
 同時に、これらを実現するためのルールづくりを。それが新国際政治・経済秩序構築である。これからの社会は、「我が国が」ではなく、「世界全体で共存して成長していく時代」に入っている。
 前日、アメリカの西部の大地でみた不毛の地は、将来太陽光発電などを中心とする大拠点となるであろう。そのときに、人は都会から地価が安く、自然の美しい田舎へと逆流するであろう。
 産業としての自然エネルギーもある。買い物はITを駆使した通販がある。移動は自動操縦で、空・海と川・陸を動く各種乗り物があり、不自由はしない……、と。

 そのときに、百年以上に亘(わた)る人類が当面している課題、過剰生産克服と「創意、工夫する労働者の創設」とのジレンマの解決にも繋がるであろう。

 ルーズベルトはダムを起爆剤の一つとした。今度は、自然活用・再生活用を起爆剤としなければならない。アメリカが昔唱(とな)えた、ニューディルに代わる、グリーンディール政策の実現でもあろう。
 アメリカの西部の大地で新産業革命の確信をし、そしてラスベガスへの帰路で古典型ニューディル政策の残骸・ダムを見た。
 

(F)アメリカ滞在最後の夜、雨のラスベガスで光るものを見た。人類は賭けをした。まさに、そのとき、ラスベガスは光輝いた。この世の光である。
 次回のThis is the America第7回「光るラスベガス」に御期待を。
 次回は、写真の質も今回よりは相当高くなっています。



■(※注1)ケインズ理論の具現化→ニューディル政策

 ケインズが唱(とな)えた理論を小学校の子でも理解できるように記せばこうである。
 膨大な金塊(きんかい)を山に埋め山から掘り出せ、そしてそれを繰り返せ、そうすれば景気は回復する。即(すなわ)ち、金塊を山に埋めて山から掘り出すには膨大な人を雇わねばならない。膨大な人を雇えば、雇用拡大となり、雇われた人の収入が増大する。すると、彼らは様々な商品を購入し出す。その結果、様々な商品を生産している多数の企業が儲(もう)かりだす。企業が儲(もう)かれば、企業は雇用を拡大する。すると、ますます失業は減り労働者の賃金が増大する。これにより、彼らが更にものを購入し出す、である。

 図示すれば、①金塊を埋めて金塊を掘り出す→②そのための人を雇う→③雇われた人は賃金が入るので商品を購入→④様々な商品を生産している企業が儲(もう)かる→⑤様々な企業で雇用が拡大する→以下②~⑤の循環で景気は回復する。
 そして、この①に該当するのが、ルーズベルトのニューディール政策ではTVA(ダム建設など)である。これは必ずしもうまく行かなかったが、その後、第二次世界大戦に参戦し、戦争のための物作りが①に該当し、景気がある程度回復した。これは戦後、日本で何度も実施された経済理論であり、戦前では高橋是清などが実施した理論に類似する。

 だが、このカンフル剤の前提には、不況時には物価が下落していなければならない。このカンフル剤を行えば、副作用としてインフレか国の借金が増大するためである。
 1985年のプラザ合意後もこのカンフル剤が頻繁に打たれたが、1985年から1990年にかけて実体のないバブル時代を迎え、しかもそれが1990年後半に崩壊したことにより日本経済の奇形構造が現(あらわ)れていた。

 私に言わせれば当時の不況はデフレ状況ではなくスタグフレーションの奇形状態が本質であった。一般にスタグフレーションとはインフレと不況の結合であるが、今日(こんにち)はインフレ状態を膨大な国家・地方自治体の赤字に置き換えたのである。
 2003年3月には国の借金703兆円、地方の長期債務約200兆円、特殊法人が発行する債券を国が保証し、隠れ借金と言われる政府保証債務が58兆円(「朝日新聞2004年6月26日)で合計約1000兆円である{2007年3月末では国の借金のみで834兆円である(「朝日新聞」2007年6月26日)}。ただし、日本の資産問題を忘却し、政府などの過剰な消費税導入CMに騙(だま)されぬこと(*4)。
 拙著『親方日の丸―第二部・官と民の論理』(kindle版)第7章第2節より抜粋。

(※注2)フーバーダムとケインズ革命。

 ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表したのは1936年である。
 ルーズベルトのニューディル政策は主として1933年からである。だから、ケインズ理論とニューディール政策は無関係という指摘があった。しかし、ルーズベルト大統領の「四つの自由」演説(1941年)の中には、ケインズについいての知識があったとしか思えない内容がでてくる。ここでは専門的になるため詳細な解説は省略する。
 ケインズ理論の骨子部分は1923年の『貨幣改革論』などで紹介されていたことだけを指摘するに留(とど)めておく。ルーズベルト若しくはその側近は、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』発表前の段階で、ケインズ理論を研究していたことだけを再度指摘しておく。
 
 フーバーダムにいたっては、1931年に着工し、1936年に竣工(しゅんこう)したので、ケインズ理論とは無関係という説については、フーヴァー大統領{Herbert Clark Hoover, 1874~1964年:大統領就任期間[1929年3月4日~1933年3月4日]}がケインズを読んでいたかどうかの研究はまだしていない。

 しかし、時代の要請から、同一・同類理論が出てくる運命にあった。例えば、この前後の日本の高橋是清を思い出せばよい。要するに、ケインズを読んでいたかどうかは別として、内容とすればケインズ理論の中の一端となる政策であった。

 ただし、私はダム政策は是認してはいない。時代の流れからもはや時代遅れとも考えている。現時点では有効需要の創設はダムではなく、福祉や平和の創造、あるいは私が唱えている新産業革命などから創設されるべきと考えている。