4:ペイジへ―Indigenous people

This is Amercia ペイジへ

  「空のパノラマ――そして、先住民に想う」

「15-103-5。西部の大地と先住民に想う。 ネィティブアメリカン、アフリカン・アメリカン、その苦難の原因は何か。 アメリカ大陸発見はコロンブスやペスプッチではない。それ以前にバイキングが、その前に先住民が……学校よ嘘を教えるな 」
 (Twitterへ2015年6月7日記載文書より」


★ホテル発:現地時間2月28日午前7時半[日本時間3月1日午前0時半]

 

 (2024/01/20 11:33追記)
 アメリカ到着1日目は現地では夜に到着して、翌朝(2日目)午前5時モーニングコールがあり、5時半~6時半朝食。7時半ホテル発→(バス)→昼食→レイクパウエルで約1時間半(雨)→(バス)→20時頃にペイジのホテル着という(ツアー会社公表=約656キロ)実際には約700キロをバスで移動のみであった。

 要するに、30数時間かけて現地では夜にアメリカに到着して、翌朝(二日目)未明に寝て、即、700キロを超えるバスの旅で、ペイジに夜着き、その翌日早朝に起こされ、再度ラスベガスにバスで戻り、その翌朝も早朝に起こされ日本に30時間余りかけて戻るというだけの旅であった。原則として、ホテル・バス・飛行機か飛行場に監禁の如くであった。
 なお、ペイジでは多少外に出られた。
 何故ならば、私の実家以上の田舎であり、ほとんど家がないか人がいないのである。その上夜遅いため、店の中以外では人は見なかった。同時に、外へでても何もなく、見るものはなかった。日本で言うコンビニと食堂を各一軒程度見たにすぎなかった(もっとも睡眠不足のため、コンビニまで行って帰っただけであり、どこにも行けなかったため不明ともいえる)。更に深夜から雪が降り始め、途中から吹雪いてもいた。



(2024/01/20 11:47追記)
 レイクパウエルの後はペイジに向かう。ペイジに着いたときには真っ暗であった記憶がある。この日、米国政府首脳と対面があったか・なかったかなどはこのページの最後の箇所に記している。
なお、ペイジという街の紹介についてのみ、今回追記をしておく。

(参考)以下ウィキペディアから抜粋
ペイジ(Page) はアメリカ合衆国アリゾナ州北部ココニノ郡の町。町の近くにはパウエル湖、グレンキャニオンダムが位置している。 1957年、近くで始まったグレンキャニオンダムの建設者とその家族が集まり、住み始めて町が形成された。… 標高:4,118 ft (1,255 m)
面積: 99.27 km²… 人口:7,247人(2010年)…」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%B8_
(%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%8A%E5%B7%9E)

私が生まれた旧美作町が面積86.97 km2 人口12,856人(2004年10月1日)、私が生まれた頃は人口17000人程度いた。この美作町よりも面積は広く、人口は旧美作町の半分程度であり、どの程度の田舎か分かるであろう。
なお、Wikipediaには「気候は乾燥帯砂漠気候(ケッペンの気候区分:BWk)に属し、年間を通して雨が少なく雪もほとんど降らない」とあるが、私が行ったときには雪がつもり同時にときには吹雪いて何も見えなかった。次回の写真で分かるであろう。

この日、レイクパウエルを出てからは、ネイティブ・アメリカン(Native Americans:
Indigenous people)が強調されていた。翌日の大半もそうであった。その話は次回掲載することにする。同時に、当初、この箇所に掲載していたネィティブ・アメリカン…についての拙著原稿(「先住民に想う」)の紹介も次回掲載版へと変更した


※ホテルを出てから約8時間51分過ぎ:[日本時間9時21分(3/1):現地16:21(2/28)]

(写真№ 15-005-426 : 426-2023-s)

※ホテルを出てから約8時間52分過ぎ:
[日本時間9時22分(3/1):現地16:22(2/28)]

(写真№ 15-005-428)
※ホテルを出てから約9時間4分過ぎ:[日本時間9時34分:現地16:34(2/28)]

(写真№ 15-005-430-T )


※ホテルを出てから約9時間5分過ぎ:
日本時間9時35分[現地時間:現地16:35(2/28)]

(写真№ 15-005-432 )



※ホテルを出てから約9時間7分過ぎ:[日本時間9時37分:現地16:37(2/28)]

(写真№ 15-005-435)



※ホテルを出てから約9時間10分過ぎ:
[日本時間9時40分:現地16:40 (2/28)]

(写真№ 15-005-436)


 
※ホテルを出てから約9時間12分過ぎ:

(写真№ 15-005-439-5)
 

 

(写真№ 15-005-441-3)

 


(写真№ 15-005-441-2M )


※ホテルを出てから約9時間22分過ぎ:
[日本時間9時52分:現地16:52(2/28)]

 (写真№ 15-005-442-1 : 442-01)
この店で『Native Americans for Kids: WITH 21 ACTIVITIES』(KARREN BUSH GIBSON:2010)を購入する。
関連として以下参照。
https://www.ducksters.com/history/native_americans.php


※朝ホテルを出てから約12時間10分過ぎ:
[日本時間12時10分(3/1) :現地19:10(2/28)]
◎私は中へは入らず、外から写しただけであった。夕食はコンビニで購入。

(写真№ 15-005-451 : 300kb)

 (2024/01/20 12:12 )ペイジの宿(ホテルというよりも大型ロッジのような場所)でも、やはり、ロビーを通らずに裏口から入った記憶がある。ただし、ラスベガスと異なり、後で受け付け付近には行けたと思う。

 アメリカ首脳との対談などがあるかどうかは不明であり、この日もテレビ類を見たように思うが記憶は定かではない。ともかく、ペイジにつくや早く寝ようと思ったのであるが、カフェインか何かが入っていたかなかなかん寝られなかったのを覚えている。どこかで寝たと思うのではあるが、記憶がない。覚えているのは、翌日もかなり遅くまで起きていたが、翌日のモーニングコールは午前6時30分と遅かったにもかかわらず、午前4時か5時頃には既に外を見ていた記憶である。外は暗く、雪が街灯の灯りで見えたのを覚えている。

 当初の計画であった世界連邦の見取り図をホテルに置き忘れた振りをして置いて帰るは既に述べたように各種妨害で訪米前に見取り図を書くことすら出来なかった。だが、海外に行って世界の首脳との関わりなしで終わるとも思えない。こうしたことから、ホテルではインタネット(スマホ・タブレット)及びホテルのテレビに釘付けでもあった。ともかく(少しは寝たのであろうが)😴寝るまでは何もなかった。(少なくともラスベガスに戻る日に入りかなりの時間までは確実に起きていた。同時にその日の午前4時か5時頃には外を見てもいた。写真も一部ある。)

 ちなみに、当初の大構想では世界連邦の見取り図をホテルに置いて帰り、もし、世界の首脳の誰かが興味を持ち、それに向けて動きはじめ、国連に代わる世界連邦が現実の物となったり・なりかけたりすれば、その裏話を独占手記として、『日本のフィクサーME・Part 3』などに掲載するという起業面からの大戦略もあったが、訪米前に妨害で潰(つぶ)されてもいた。だからといって、訪米を突如縦断する訳にもいかなくなっていた。

 


【2015年6月7日追記】アメリカで購入した唯一の土産、それはネィティブアメリカンの歴史という本であった。これ以外、何一つ、日本に持ち帰る物は購入しなかった。

 (写真№ 15-005-425-M2)