This is Amercia 第4回グランドキャニオンへ
「空のパノラマ――そして、先住民に想う」
「15-103-5。西部の大地と先住民に想う。 ネィティブアメリカン、アフリカン・アメリカン、その苦難の原因は何か。 アメリカ大陸発見はコロンブスやペスプッチではない。それ以前にバイキングが、その前に先住民が……学校よ嘘を教えるな
」
(Twitterへ2015年6月7日記載文書より」
★ホテル発:現地時間2月28日午前7時半[日本時間3月1日午前0時半]
※ホテルを出てから約8時間51分過ぎ:[日本時間9時21分(3/1):現地16:21(2/28)]

(写真№ 15-005-426 : 300kb)
※ホテルを出てから約8時間52分過ぎ:
[日本時間9時22分(3/1):現地16:22(2/28)]

(写真№ 15-005-428 : 300kb)
※ホテルを出てから約9時間4分過ぎ:
[日本時間9時34分:現地16:34(2/28)]

(写真№ 15-005-430-c : 300kb)
※ホテルを出てから約9時間5分過ぎ:
日本時間9時35分[現地時間:現地16:35(2/28)]

(写真№ 15-005-432 : 300kb)
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(写真№ 15-005- : 300kb)
※ホテルを出てから約9時間7分過ぎ:[日本時間9時37分:現地16:37(2/28)]

(写真№ 15-005-435-a2 : 300kb)
※ホテルを出てから約9時間10分過ぎ:
[日本時間9時40分:現地16:40 (2/28)]

(写真№ 15-005-438-1 : 300kb)
※ホテルを出てから約9時間12分過ぎ:
[日本時間9時42分:現地16:42(2/28)]

(写真№ 15-005-439-5 : 300kb)
※ホテルを出てから約9時間12分過ぎ:
[日本時間9時42分:現地16:42(2/28)]

(写真№ 15-005-440-2 : 300kb)
※ホテルを出てから約9時間12分過ぎ:[日本時間9時42分:現地16:42(2/28)]

(写真№ 15-005-441-3 : 300kb)
※ホテルを出てから約◎時間◎分過ぎ:
※ホテルを出てから約9時間22分過ぎ:
[日本時間9時52分:現地16:52(2/28)]

(写真№ 15-005-442-1 : 300kb)
※朝ホテルを出てから約12時間10分過ぎ:
[日本時間12時10分(3/1) :現地19:10(2/28)]
◎私は中へは入らず、外から写しただけであった。夕食はコンビニで購入。

(写真№ 15-005-451 : 300kb)
◎アメリカの大地と先住民に想う
以下、拙著『旅に心を求めて・不条理編・上』(Kindle版発売中){Kobo版は本年9月頃販売検討}第1章より抜粋する。
ただし、ネィティブアメリカンを、ここでは他の文献からの引用の中でインディアンと書いている。ネィティブアメリカンが一番呼ばれたい呼び方での記述が不可欠である。私もそれを頭にたたき込まなければならないが、引用文のため、やむを得ずそのまま記載した。
……イギリスからアメリカにやってきた移民たち(特に米国南部のプランナーたち)は、限りなく安価な労働力を必要としていたことは周知の通りである。
当初、彼らは「インディアンを使おうとした。だが……インディアンたちは、入植してきた白人たちの病気にきわめて感染しやすいこともわかった。……そこでイギリスやアイルランドから、貧しい白人や囚人たち、それに借金で身動きのとれない者たちが、アメリカの農場へ送りこまれた」。(だが、彼らは)「……年季を終えたあと釈放されて自由の身となっていった。
そのためたえず新たな労働力が、補給されなければならなかった」。その上、逃亡した場合には肌の色が白人と同じなので見つけることが不可能だったこともある。そこで、彼らは黒人に目をつけた。
「アフリカ人ならば色が黒いから逃げても簡単に見つけられるし、それに金で買うことができ、生命(いのち)のある限り、自分の所有物として使うことができたからだ。おまけになんといっても、供給源が無尽蔵だった」{土屋哲、『アフリカの心』、(岩波ジュニア新書)、一九八九年、三五頁}。
さらに、奴隷に家庭を持たせることで、奴隷の再生産が可能となる。このように、消耗品的人間は偶然に生じるのではなく、計画的に生み出されたのである。
ちなみに、アフリカは、有史以前は今で言う〝先進国〟であった。有史に入ってからも、西アフリカではガーナ王国(八世紀~一一世紀)、一三世紀からはマリ帝国と、幾多の王国が栄えていた。{ROLAND
OLIVER AND J. D. FAGE, A SHORT HISTORY OF AFRICA, PENGUIN BOOKS、1962. 参照}。
ただし、歴史の中で、どの国も繁栄と停滞の時期があり、経済・文化・制度の隙(すき)間(ま)を狙ってアフリカに白羽の矢がたっただけである。
八世紀のイスラム世界でも、「たくさんの奴隷が、商品として売買されていた。奴隷は白人奴隷と黒人奴隷からなり……」{石渡延男・中山義昭、『世界と日本の歴史・4』、(大月書店)、一九八八年、六七頁}とあるように、黒人だけが奴隷であった訳ではない。
要するに、一部の人間が必要とする消耗品的人間(その極地である奴隷)は、黒人に限定されていた訳ではない。アメリカでは、前述の如く、消耗品的労働力として、アメリカ原住民、欧州の貧困な白人や囚人といろいろ実験した後で、アフリカの黒人に白羽の矢をたて、計画的に獲得・生産・再生産するような仕組みを作った。
いつの時代でも、消耗品的人間(消耗品・使い捨て型労働力商品)は、経済外的強制(政治的強制)によってか、それが不可能な場合には現代の日本などの如く経済的強制(蟻(あり)地獄に陥ると一部の仕事にしかつけないような〝一見自然にみえる〟仕組み等々)で計画的に生み出されてきたのである。
こうしたことを、高校一年時に考えるきっかけとなったのが、映画・『黒部の太陽』である。その土台には『あゝ野麦峠』の女工問題{映画・『あゝ野麦峠』(山本薩夫監督、一九七九年)では、昭和初期までの日本輸出産業の花形であった製糸業と貧困のどん底で家計を支えるための女工の姿がコントラストを描いていた}と同様の問題があったように思われる。
社会が進歩するにつれて、人の命は重たいと口では言われながらも、相変わらず、時には逆に、科学と進歩の名の下に命が軽(かろ)んじられている。
即ち、科学の進歩と人間との狭間(はざま)にある不条理の世界に〝何か〟を求めていたのかもしれない。こうした問題に関して、今後も〝何か〟を求め続けていくことになるであろう。
社会が進歩するにつれて、人の命は重たいと口では言われながらも、相変わらず、時には逆に、科学と進歩の名の下に命が軽(かろ)んじられている。即ち、科学の進歩と人間との狭間(はざま)にある不条理の世界に〝何か〟を求めていたのかもしれない。
こうした問題に関して、今後も〝何か〟を求め続けていくことになるであろう。 政経の世界においても、今日(こんにち)の形式的な人間尊重ではなく、全ての面で、人間の生き様(ざま)(実態)そのものを重視しなければならないと考えている。
例えば、科学の発達・発展という名の下で、百歳以上生きたとしても、寝たきりでベットに縛りつけられ、ただ管理され生きることに価値があるのか、テレビはなくとも一家で楽しく暮らし、そして最(さい)期(ご)は(その)時代が適切寿命と思う年齢の頃に、畑かどこかでポックリと逝(い)くことが幸せなのか、という問題である。 様々な複雑な想いの中で、黒部ダムを去る前に、再度、「黒部ダム殉職者」の像に合掌する。
……《中略》……
●アメリカ大陸が発見されたのは一四九二年(コロンブス)と暗記するのも、同様に意味はない。
アメリカ大陸を最初に発見したのは、(「東アジア」に到着したと思っていた)コロンブスか、アメリゴ・ヴェスプッチか、コロンブス以前にカナダに到達したバイキング(ノルウェー等北欧の人々)か、それとも一万年以上前にどこからか辿(たど)り着いた人々か。
要するに、とっくの昔にアメリカ大陸に住んでいた先住民の存在と、彼らがどのような形で取り扱われたかの方が遙(はる)かに重要である。西部劇映画・TVが、〝なぜ〟、現在作成されなくなったかを想起すれば分かるであろう。
日本の時代劇は作成され続けても、米国の西部劇は映画から消えた。十年ほど前ですら、せいぜいTVで『大草原の小さな家』程度である。私の小学校・中学校時代は「西部劇」が全盛であった。だが、あの映画を先住民の側からみれば違うドラマとなる。白人の生活、先住民の生活、その軋轢(あつれき)が、私が今回テーマとしている〝不条理〟でもある。もし、今後アメリカ時代劇が復活するときには、全く違う形のアメリカ史として描かれるであろう。
同上第2章より。
【2015年6月7日追記】アメリカで購入した唯一の土産、それはネィティブアメリカンの歴史という本であった。これ以外、何一つ、日本に持ち帰る物は購入しなかった。

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