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新国際経済秩序・新国際政治秩序・新産業革命を!!
この不毛な地が、自然エネルギーの一大拠点となったとき……世界の饑餓は減り、都市から農村へ、戦争も減り…
●アメリカ、いな、地球の大地は広く、豊穣(ほうじょう)であり、だれもが生きていくのに十分すぎるくらいある。西部の旅では、バスの中から、大地を見ながら、その思いを強くした。
私はバスの中で、この広い大地にはりめぐされている電線ばかりを飽きることなく、見続けた。中国のときは、屋根の上の太陽パネル発電があるかどうかに注目していた。私の持論を上海のホテルで徹夜で宴会場にむけて演説すると、宴会場から笑いが起こった。だが、この不毛な大地がすべて自然エネルギーの拠点となったならば。私が力説する新産業革命、新国際経済秩序が構築されたならば、都市から田舎へと人口は逆に流動するであろう。そのとき、この不毛な大地は、石油資源以上に価値をもつこととなる。同時に、石油利権から解放され、戦争の大きな原因からの離脱でもある。そして、中国にも、アフリカにも、ロシアにも、……こうした地がある。
私のアメリカへの旅の最大の目的は新国際経済秩序・新国際政治秩序、願わくば、世界連邦へと舵をきらすことにあった。随所に述べたように、このコーナーは写真展ではない。世界全体での繁栄と心の豊かさにむけて、私が語る物語館である。優れた写真があれば、説得力が増であろう、ということで写真にも精進しただけである。
チャップリン『独裁者』より。
I'm sorry, but I don't want to be an emperor. That's not my business.
I don't want to rule or conquer anyone. I should like to help everyoneif
possibleJew, Gentile, black men, white. We all want to help one another.
Human beings are like that. We want to live by each other's happiness
not by each other's misery. We don't want to hate or despise one another.
In this world there is room for everyone. And good earth is rich and
can provide for everyone. ...
{【浜田訳文例】生憎(あいにく)ですが、私は皇帝などにはなりたくありません。それは私の任ではありません。私は、誰をも支配することも、誰をも征服することもしたくありません。
できることなら、私は誰をも助けたいのです(誰にも力を貸したいのです)――ユダヤ人も、異教徒も、黒人も、白人も。我々は互いに助け合うことを望んでいます。人間とはそういうものなのです。私たちは、お互いの不幸によってではなく、お互いを幸福することにより生きていきたいのです。私たちは、お互いに憎しんだり軽蔑しあったりはしたくありません。
この世界には、誰もが生きていけるだけの十分な余地があるのです。豊かな大地は豊穣であり、そして誰にも十分なものを提供できるのです}
Ⅱ―01・太陽

(写真№15-008-081: 200kb)
Ⅱ―02・太陽の呼びかけ

Ⅱ―03・バスの窓から

(写真№15-008-102 :300kb)
Ⅱ―04・不毛な大地

(写真№15-008-103: 200kb)
Ⅱ―05・こんな所でも電柱が。

(写真№15-008-130: 200kb)
Ⅱ―06・二筋の斜光。ここにも電柱が。

(写真№15-005-056-copy: 300kb)
Ⅱ―07・斜光のささやき――「ここは自然エネルギーの宝庫だ」。
やはり、電線がある。

(写真№15-008-134:200kb)
■Ⅱ―08・天は、太陽は、人を諭す――斜光。
この旅は、天変地異のことが多かった。(斜光、虹、大雪……、と)。黙示録の如しであった。

(写真№15-008-136-T2:300kb)
Ⅱ―09・街。
→人の生活が連想される。■現地の案内の人が言っていた。この辺りはモルモン教のメッカであったそうである。宗派中立の私にはどうでもよい。電線がすでにこれだけあるのならば、ものごとは早い。

(写真№15-008-162-1:300kb)
Ⅱ-10・難所(1)。
先人がつけた道。それを、今度は自然エネルギーの巨大拠点としよう。
現地ガイドの人は言った。「私の好きな地がある。その場に着いたならば言う」、と。そして、彼がここからです!と、言った。大きな崖と岩が続き、暗い。おまけに、曇天となった。D90というカメラは、ISO200が事実上の限界のため、技能の間に書いた技法で撮ることにした。即ち、兎に角、撮る。撮るときはカメラマン、後は画家方式である。

(写真№15-005-100: 300kb)
Ⅱ-11・難所(2)
高速で走るバスの中から、こんな暗いところは撮れるわけがない。そこで、私の秘伝に書いた撮り方を行う。

(写真№15-008-169-edge:300kb)
Ⅱ-12・難所(3)
確かに、引きつけられる地であった。

(写真№15-008-171-edge: 200kb)
Ⅱ-13・難所(4)

(写真№15-008-174-edge: 300kb)
Ⅱ-14・未来のアルプス(1)
ここから、カメラをチェンジをして、カメラD800で、ISO800にて写すことにした。ブレを考えると賭けであった。
※もし、私が唱える新産業革命が成功し、この地がエネルギーの巨大拠点となったとき、ここは憩いの地、アメリカのアルプスとなるであろう。

(写真№15-005-125:300kb)
Ⅱ-15・未来のアルプス(2)
●私が述べる構想が実現し、この界隈に人が多く住むようになったとき、近くの町から、ここに自転車で来よう。

(写真№15-005-128:300kb)
Ⅱ-16・未来のアルプス(3)

(写真№15-005-131:300kb)
Ⅱ-17・未来のアルプス(4)。一言、「wonderful!!」

(写真№15-005-134:300kb)
Ⅱ-18・未来のアルプス(5)
そして、あの岩の近くへ行き、弁当を食べよう。てっぺんは無理である。何故ならば、私は高所恐怖症だから。

(写真№15-005-136-2-a-1:300kb)
Ⅱ-19・未来のアルプス(6)
私には、この地が、アルプルのようにみえてきた。これもまた、重要な観光資源である。

(写真№15-005-137:300kb)
Ⅱ-20・未来のアルプス(7)
ここは、手振れならぬ車ブレ覚悟で、望遠系で撮り、後で加工することにしよう!

(写真№15-008-187-crack:300kb)
Ⅱ-21・未来のアルプス(8)
この風景をみているときに、コンドルは飛んでいくというメロディーの如く、耳鳴りがし続けていた。

(写真№15-005-138-1:300kb)
Ⅱ-22・大地の涙
ラスベガスを出るときは晴れであったが、雨が降り始める。

(写真№15-005-158:200kb)